まちがえた基準

 事故から辛うじて生還したあと、静かで、退屈で、何の変化も無い病院での生活が始まった。とはいえ最初は変化があった。長らくベッドの上で完全に固定されていた身体を、角度にして五度までなら起こしても良い、十度までなら起こしても良いと言われるたびに、それまで天井と壁しか見えていなかった僕の視界は広がり、ついに二十五度まで上半身を起こして窓の外が見えるようになったときには、まるで世界が一変したように感じたし、感激もした。
 足を整復する二度目の手術を終えてからひと月ほどすると車椅子に乗る練習が始まり、やがて病院の中をある程度なら自由に動き回ることが出来るようになった。あなたそれじゃ暴走族よと何度も看護師に叱られるほど、僕は好き放題に動き回っていた。長い廊下はスピードが出て気持ちがよかった。
 人間というのは驚くほどあっさりと環境に馴染むもので、半年も病院で暮らしていれば、元の家での暮らしなどすっかり忘れてしまう。もう最初からずっと病院で生活しているような錯覚さえ覚えてしまうから不思議だ。
 起床してまず院内をうろつき、朝食のあとは検査とリハビリ。昼食のあとはたいてい眠っていた。午後遅めにふたたびリハビリ。そして夕食。消灯時間までは救急外来の入り口にある灯の下で、本を読んで過ごすことが多かった。本だけが僕を病院の外にある空想の世界へ連れ出してくれた。
 両方の脇に松葉杖を挟んで片足だけで歩こうとすれば歩けなくもないのだが、まったく片足を使えない状態で歩くのは僕にはなかなかきついものだったし、腕と指の機能も失っていたので長距離となるとなおさら難しかった。
 ここが下肢を切断をして義足を使っている人と僕との大きな違いで、残った部位をうまく使って義足で歩くのと、まるで役に立たない大きな物体を体の片側にぶら下げて歩くのでは何もかもが違っている。足は僕たちが思っている以上に重い。とにかく邪魔なのだ。だから脊椎損傷で下半身がまるごと使えない人の暮らしを考えるとき、それはとても大変だとか、なにかと不便だろうとか、そういった有り体の言葉よりも、まずはいろいろと面倒くさそうだなあというほうが僕の実感に近い。
 それはともかく、病院の中で僕は車椅子生活を送ることになった。もともと体力だけはあったせいか、それまであまり障害というものを真剣に考えたことの無かった僕は、そこで初めてこれが障害なのかと気づくことになる。
 一般的な社会に比べればバリアフリーが徹底されているはずの病院の中でさえ、車椅子では行けない場所があり、ほんの数センチほどの段差が車輪を空転させた。先に数人が乗っていれば、もうエレベーターに乗ることはできず、狭いトイレの床に物を落とせば、拾うのに一苦労した。
 そうして、ようやく僕にもわかったのだった。障害は僕の足にあるのではなかった。片足しか使えず、車椅子を利用するほかない僕が不便を感じるような仕組みそのものが障害なのだ。
 文字通り障害物はそこにあって、多くの人はその障害物を潜ったり跨いだり迂回したりして、あるいはぐっと我慢しながら越えていくところ、様々な理由からそれを越えられない人たちがいて、僕たちはそういう人たちのことを障害者と呼んでいる。けれども実際の彼らは、多くの障害物に迷惑しているだけだ。障害のある者ではなく世の中に溢れる障害に困っている者、被障害者なのだ。障害物を取り除けば誰もがもっと楽に進めるのにそうしないのは、あっても困らないと思う人たちが、自分は我慢できるという人たちが、あるいはそこに障害物があることに気づかない人たちがものごとの基準を決めているからなのだろう。
 ああ、この世界は、少なくとも僕の知っている日本の社会は、健康で、五体満足で、平均的な身長と体重の、たいした病気もせず、毎日の仕事がある、我慢強い成人男性を基準にしてつくられているのだなあ。誰だって何らかの問題を抱えているはずなのに、そんなふうに存在しない人を基準にすれば、そりゃみんなヘトヘトになるよなあ。病院の清潔で明るい廊下の端に車椅子を止め、窓下を走っていく車を見ながら僕はそんなことを考えていた。
 僕たちは、そもそもの基準をまちがえているんじゃないのか。車椅子を使うようになって、初めて僕はそう感じたのだった。

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あそうかも

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コメント1件

あそうかもさんすみません、そうだったんですね。私右半身麻痺が残るため良くわかります。92歳のおばあ様に勝手に言われた意味がいまさらわかりました。反省です。
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