祝祭を担う者たち

二年ほど前に、東京藝大卒業式に出席した時に書いた感想。諸事情あって、どこにも掲載されなかったので、ここに載せておく。

 上野駅を出て緩やかな坂を上り、公園に入る。気温は五度くらいだろうか。傘を持つ手が悴んで痛い。雨の中、中国からの観光客らしき人たちが、花が開いたばかりの桜にスマートフォンを向けている。美術館のそばを通り抜け珈琲店のある角を左に折れると、やがて道を挟んだ両側に門が現れる。右手の門には東京藝術大学卒業式場と書かれた看板が立てかけられており、その前で着物を着た卒業生が母親とともに写真を撮っている。門の脇には看板前で写真を撮るための長い行列ができていて最後尾というプラカードまで用意されている。
 ごくたまに頼まれて講義をしたり学生のイベントに呼ばれたりする以外、ふだん僕は大学というものにほとんど縁がない。ましてや卒業式を見る機会などまったくない。
 男性も女性も着物を身につけている人の割合が多いように思う。妙に着こなしが板についているように感じるのは、やはり日頃から着物を着る機会が多いからなのか、それとも藝大という名前に僕が先入観を持っているからなのかはわからない。
 敷地の中を進んで行くと目的の建物が現れる。奏楽堂だ。一階部分が半地下のようになっているので、中に入ろうとするとそれまで僕が歩いてきた道からは階段を降りなければならない。階段の上から見下ろすとガラス張りの建物の前には傘がずらりと並んでいる。色とりどりの着物と傘が混ざり合って万華鏡のように見えた。
 傘の脇をすり抜けるようにして会場に入る。言ってみればいわゆる音楽ホールなのだが天井がとても高く客席の傾斜もかなり急だ。左右の壁にはボックス席のようなものも設えられ、ちょっとしたオペラハウスのような趣さえある。なるほどこの天井の高さを確保するために半地下にしたのだろう。舞台の奥では巨大なパイプオルガンが照明の光を受けて鈍く光っていた。
 次々に入ってくる学生たちは何人かずつ連れ立って空いている席に座っていく。基本的に席は自由らしい。さりげなく首を回して見るが誰もが落ち着いた表情をしている。
 ゆっくりと照明が落ちた。司会者の「奏楽」という言葉を受けて、金管のアンサンブルが登壇し演奏が始まる。こうした式典で生演奏が行われる学校も無くはないだろうが、なんとなくさすがは藝大だなあと思ってしまう。
 学位の授与が始まると奏楽堂の中がしんと静まり返った。若者がこれだけ集まれば、どこからともなくガサガサとした音が聞こえてくるものだと思いがちだが、ほとんど音はしない。ごくたまに咳払いと紙の音が場内に小さく響くだけだ。そして少し離れたところから耳に届く衣摺れ。衣擦れが聞こえるなんてと僕は驚く。壇上にいる学長の声は、おそらくマイクなしでも十分に聞こえるだろう。それほど静かなのだ。
 しんという表現がしっくりくる。こっそりスマホを見ている者も、まあ、多少はいるものの、なるほど彼らは聴くという行為に抵抗がないのだ。聴くことは得ることだと体験的に知っているのだろう。
 学位や賞の授与がすべて終わると再びすっと照明が落ちた。完全に暗転した舞台から学長がそっと退席していく。一体何が起こるのだろうか。やがて音楽が流れ始めスクリーンに大きな写真が映し出されると、それまでずっと静かだった客席から初めて大きな声が上がった。おそらく卒業する学生たちの四年間を振り返る写真なのだろう。
 写真が映されるたびに客席からは歓声やどよめき、笑い声が上がる。それにしてもこの写真、お祭りだらけじゃないか。遊んでばかりじゃないか。どうも東京藝大はお祭りばかりやっているように見えるぞ。そんなことを考えているうちに、しだいに学生たちがそれぞれ作品を作っている様子や発表会などの様子が映し出されていく。お祭りから始まってやがて作品へ。なるほど、そういう演出なんだな。
 最後に映し出されたのは今日のこの式典の写真。たった今撮ったばかりの写真をスライドに入れてくるとは味なことをやるなあ。こういうのは映像系の先生や在校生がやるのだろうか。
 薄暗い会場の中で、そんなことをぼんやり考えていると、不意に左右の壁と天井を、数え切れないほどの星が埋め尽くした。なかなか凝った照明だ。おおという歓声の上がる中、壇上ではいきなりバイオリンの演奏が始まる。弾いているのは学長だ。
 学長は演奏が終わるとそのまま演台へ移動した。続けて式辞を述べようという演出なのだ。演台に立って、ちょっとだけ得意満面な表情をした学長に思わず僕は噴き出しそうになる。
「いま演奏した曲は、ブラームスのF.A.E.ソナタ、スケルツォです」そう言って学長の話が始まった。
 シューマン、ディートリヒ、ブラームスが3人で作曲したヴァイオリンソナタ。F.A.E.とは、Frei aber einsam(自由に、だが孤独に)の頭文字だ。その頭文字をそれぞれ音符のF(ファ)、A(ラ)、E(ミ)に見立てることで、この曲の主題は作られている。
 芸術にとって、自由であることは何よりも重要だ。けれどもその自由は、孤独と引き換えに得られるものでもある。新しい世界を創り出そうとする者は、誰一人いない地平にたった一人で立たなければならない。僕はそっと顔を横に向け、同じ列に座っている卒業生たちの様子を伺った。誰もが身じろぎもせず壇上を見つめている。その真剣な眼差しの一つが一瞬だけ、僕に向けられた。お前には孤独を引き受ける覚悟があるか。そう問われたような気になる。
「枠にとらわれず、周囲に流されず」
学長の式辞はダジャレも交えたユーモラスなものだった。
「芸術がなくても生きていけるという者もいるが、芸術は人間が人間らしく生きるために必要なのだ。そこに貢献して欲しい」
 すぐに役立つものばかりが求められがちな今だからこそ、芸術家の担う役割は大きいのだという強いメッセージだった。
 そのメッセージを真剣に聞く若者たちの姿を見ていると、彼らと同じように、ものづくりに携わる僕自身も、自分にできることをあらためて考え直そうと思った。
 式典の終盤、役員や理事が壇上から退席して行く。最後に残った学長が頭を下げると、一際大きな拍手が沸き起こった。単に学長だからということではなさそうで、学生と学長の距離の近さを感じさせるものだった。教員がずいぶん慕われているのだなあ。どうやら藝大って、とてもアットホームな学校のようだな。そんな印象を受ける。
 最後の奏楽が終わり、式典がすべて終了したあと、僕は卒業したばかりの学生たちに紛れ、奏楽堂の出口に向かった。出口に近づくに連れて、何やら外から激しいリズムが聞こえてくる。
 雨の中、サンバを演奏している学生たちがいた。楽器を奏で踊っている。着物を着ているのは卒業生なのだろうか。やっぱりここはお祭りの学校なのかも知れない。そうだ、踊れ。踊れ。
 人間がただ生きるだけの存在だとすれば、そこに祭りは要らない。けれども、人間が人間として生きるのなら、生と死の間を生きる存在であるためには、やはり祭りが必要なのだ。芸術は祭りだ。人間の暮らしを彩る祭りだ。
 今この場所から、その新たな担い手たちが巣立つ。その瞬間を僕は目撃したのだった。

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浅生鴨

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