心の材料

 僕たちは自分が怒るとき、その怒りの原因は相手にあると思っている。
 ところが同じできごとに出遭っても怒る者と怒らぬ者がいる。万人が等しく怒るものごとなど何処にも無く、できごとへの関わり方や、知識の深さや、育った環境や、そういったそれぞれの人間の違いが、怒りの違いをつくっている。
 相手のみに怒りの原因があるのならば、誰もがその相手に対して全く等しく怒る筈なのに、中には怒らぬ者や、あるいは怒りの小さな者がいるのは、つまり怒りの沸き起こる理由は相手でなく自分の中にあるからで、確かにできごとの原因は相手にあるのかも知れないが、できごとへの怒りをつくり出す材料は自分の中にあるのだ。
 同じできごとに出遭ってそれに怒る者は怒って当然だと思い、怒らぬ者は怒る者がなぜ怒るのかが解らぬ。お互いに持っている心の材料が違っているのだから、それは当たり前のことで、怒らぬ者を同じように怒らせようとあれこれ鼓舞しても、せいぜい怒って見せる程度のことにしかならぬ。これは詮無いことなのでやるだけ無駄であるし、同じように怒る者を怒らぬ者が諫めようとしてもこれまた無駄なので、僕はいつからか鼓舞も諫言も止めてしまった。

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