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人を信じるという"闘い"

恩師の教えで、一年間「対人不信」と闘ってきた。
自分と他人を無条件に信じるというものである。

結果的に、僕はこの闘いに敗れた。

これを読んでくれている方の中には、「自分は人を信じてるな」というように思う方がいるかもしれない。

しかし、僕の恩師の言う「信じる」は、それとは少し違う。

多くの人の「信じる」は条件つきである。

「あの人は~してくれたから信じられる」
「みんな好意的で優しい人ばかりだ」

しかし、人間は誰しも良いところばかりではない。
長く深く付き合えば、嫌なところも見えるし、大なり小なり裏切られることもある。

その時、多くの人はこう考える。

「私は人を信じるタイプだけど、あの人だけは…」

つまり「あの人」が例外なのであって、こちらには責任がない、ひいてはこちらが被害者であるという立場だ。

長くなるので、詳細はまた書きたいが、これではいけないのである。

人間は、嫌なところがあるし、裏切ることもある。
それでも信じるのである。

しかも、こちらは一切の武装をしないで。

すでに述べたように、僕はこの闘いに敗れた。
今の自分ではとうてい勝負にならなかった。

だから偉そうなことは言えないが、やはり対人不信の課題から逃げるわけにはいかない。
相手のためにも、自分のためにもである。

ほとんど全ての人がこの課題を抱える時代である。
是非共にこの闘いを歩んでいただきたい。

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