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なぜ、あすぴれんとを設立したのか

(2013年に書いたものです。)

僕は障がい者福祉に8年間携わっています。

知的障がいを持つ方の支援員(グループホーム)に始まり、知的・身体の方のヘルパー(居宅介助)、精神の方を対象とした支援員(地域活動支援センター)、そして現在のあすぴれんとです。

僕は福祉に違和感を持ち、一番長く勤めた江戸川区のヘルパー派遣会社を28歳で退職、大学院に入りました。

福祉の「何か」に怒っていました。

最近、それがとても明確になりました。

ヘルパーはボランティアから始まり、今ようやく「仕事」として確立されてきたというところです。

しかし当然、現場には混乱が生じます。

以下、僕の周りにいたヘルパー仲間を「ヘルパー」と呼びます。

介助が仕事になっても、利用者さんの多くはこれまで通りの「友達、家族的」な関わりをヘルパーに求めます。

一方で、仕事になったのだからより専門的な安定したケアを求めます。

当たり前のことだと思います。

ヘルパーは、「友達、家族的」なケアこそ優しさだと信じ、それを残したまま、新たに求められる専門性を介護福祉士の勉強等で補います。

ヘルパーは、本当に優しいのです。

優しすぎるくらいに。

僕は彼らが好きだったし、途中、僕の持った違和感こそ間違いかもしれない、自分が彼らのようになった方が良いのかもしれないと考えたことも事実です。

でも、利用者さんは悲しみ、傷つくのです。

優しいヘルパーと、そんなヘルパーが好きな利用者さん。

なんで彼らが「友達、家族的」になって、利用者さんが傷つくのでしょう。

ヘルパーは利用者さんの友達であり、家族になりながら、「仕事」をします。

でも、友達、家族に「サービス」が提供できるでしょうか。

逆に、サービスが提供された友達、家族は嬉しいでしょうか。

僕は成り立たないと思うのです。

お互いにとって無理が生じるように思います。

無理を続ける中で、ヘルパーは限界に達し、「友達、家族」か「仕事」のどちらか、あるいはその両方をやめてしまうことがあります。

利用者さんは驚き、悲しみます。

話を戻します。

僕が何に怒っていたのか。

僕は心理学を学んでから福祉に入り、そのことに気づいていながら、結果的に何も行動を起こせなかった自分自身に怒っていたのです。

勇気や知識、経験等、「力」がなかったのです。

目の前で利用者さんが傷ついていく。

それも、ヘルパーが純粋な優しさから行うケアによって。

優しさが優しさとならない、あまりにも残酷な現実でした。

それを日々感じながら、何もできなかった。

いや、僕も利用者さんを傷つけてしまっていたでしょう。

そんな力のない自分が許せなかったのです。

僕は昨年から、「優しく温かく、そして力強い福祉」というものを掲げています。

優しさや温かさは、力強さがあるから本来の形で安定するのでしょう。

力強さには上に書いた勇気、知識、経験…そういったものが複合的に関わる気がします。

力強さは、優しさや温かさがなければ活きていかない(逆に働く可能性さえある)ものと考えれば、やっぱりそれらは切り離せないものです。

僕は何に怒っていたのかに気づきました。

そしてそれは、許されないことかもしれない。

でも、自分への怒りにとらわれ続けることは僕を前に進ませない。

ここはあえて、自分を許そうと思います。

その上で、より良い福祉を。

ヘルパーの優しさが十分に活かされ、利用者さんがノビノビと当たり前に大志を抱ける福祉。

日本にはたったの400年前まで、いくつもの国が存在し戦争を繰り返していたわけです。

今は国内であれば自由に遊びに行けます。

それを考えれば、人には平和や助け合い、譲り合いに向かう力があり、上記のような福祉は絶対にできるはずなのです。

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