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"運命の人"の脆弱性

"運命の人"というタイトルから、「なんだ今回は恋愛の話か」と思われるかもしれません。もちろん恋愛についても言えることですが、今回はもっと広く"運命の人"を定義させてください。ここで扱う"運命の人"とは、特別な存在、生まれて初めて出会った存在、奇跡的なものを多く感じる存在です。恋人や親友、親、兄弟、子どももその対象になります。

私自身も、これまでそのような人と何度か出会いました。その人の行動の全てが学びになり、一緒にいて楽しく、誰よりも優しく、自然と多くの時間を共にします。ですが、何故かその関係は長くは続かない。

一般的には「そういう人には減点法(最初が100点だとマイナスが増えていくばかり)になっちゃうから」と言われますね。これも正しいと思います。臨床心理学的には、他者を自分の理想に近づけて見てしまう理想化が関わるでしょう。理想化は、一気にその価値を失う脱価値化(だつかちか=こき下ろし)とセットであると言われます。つまり、理想的な存在はその正反対の存在に変化しやすいのです。

また、そもそも"運命の人"との別れは、別れであることが認識されやすいということもあるでしょう。学校の卒業式を考えればわかりやすいですが、他のクラスメイトとの別れは「卒業だから」と当たり前に理解・処理できても、親友との別れはまた会う約束が必要になったりします。

別れというのは自然なことで、実は全くネガティブなものではありません。最終的には死をもって、どんな出会いも必ず別れの形で終結します。しかし、ネガティブなものではないのだから前を見なければ、というのもまた違います。それはフロイトの喪の仕事やキューブラ―・ロスのモデルにも反します。

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