クレール旅行記 1

むずかしいことばかりが、わたしのあたまの中をおよぐ。ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると。
わたしが、こころが、かたくなって。弱かった。ずっと。でも、それでも。
わたしは、わたしになりたかった。だれかに明けわたすなんて、いやで。
だから、わたしはわたしとして、明日を生きていくことにしたんだ。
──旅人の詩

 

 夢と現実なら、これは悪夢。生という終身刑に囚われているのに、誰もそのことには気付かない。おかしいでしょう? 生きることはこんなにも大変なのに、死ぬこともまた大変だなんて。そうは思わない? ──そうだよね。だって、あなたは──。

 

 黒闇に塗り固められた静謐な夜、星たちは寂しげに濡れている。星は何も悪くないのに、わたしのせいで滲んでしまって。絢爛と輝いていてほしいのに、星まで悲しませてしまうような気がして、またこうして謝りたくなってくる。
 煢然と暗がりを歩いてきたわたしは、ずっとこうしてたくさんのことを考えてきた。それでも、正解も不正解もわからなくて、何もかもがわからなくて。むしろ、何もわからないわたしこそが本当のわたしなのかもしれない、なんて思ったりもして。あるときはずっと、ずっと不幸にばかり縋って、また不幸になりたがって。またあるときは、何かがずっとわたしのことを見つめているようで、怖くなって。そんな日々を経たわたしは、いったい何者なの? ──わからない。被害妄想とか、希死念慮とか、難しいことばかりが感懐に居直るままなのも変わらない。わたし、どこで間違えたんだろう? 引き返せたら楽になるの? ──わからないよ。わかりたいのに。どんなに考えても、わからないことだらけで。何もないわたしがそこにいる。でも、そんなこと、もう終わりにしたくなった。わたしで居続けることに疲れてしまって。だからわたしは、

「明るくなったら、旅に出よう」

 なんて、滲んだ星に縋り付いてしまったのかもしれない。

「本当に行くのか?」
「うん。いくよ、わたしは」

 日が明けようとしている早朝、朝に弱いはずのアークが珍しく目を覚ましていた。

「そうか──そう言うと思ってたんだ」

 しかし、わたしに笑いかけているアークは旅支度を済ませていて。

「──俺も行く。モコ一人で旅なんて、心配だからってのもあるんだけどさ。俺にも旅をしたい理由ってのがあって……」
「ほんと? それって──ううん、いっしょに来てくれるなら……」
「ありがと、決まりだな。それと──」

 どんどんどん、と囂しくも響く音。玄関からだ。こんな早朝から、なに──?

「ちょっとアーク! まだ準備できないの?」
「ベ、ベル……!」

 もしかして──もし、そうなら。一人じゃないと思うなんて、いつぶりだろう。それもわからないんだ、わたし。

「悪いな……俺が行くって言ったらさ、聞かなくて」
「いいよ。みんなといっしょがいい」

 へへっと笑いかけてくれるのが嬉しくて、わたしも自然と顔を引き攣らせていた。わたしに笑う資格なんてないから、空白を笑顔にしている。誰も気付かないなら、わたしは本心から笑っていることになるから。

「待たせるのも悪ぃし、そろそろ──」

 と、ひと呼吸置いて。

「行くか……」

 アークは一足先に玄関を──わたしたちの住むおんぼろな家を後にする。扉が開くと、すぐに楽しげな声が入ってきた。しかし、すぐに声は遠のく──きゅっと口を締めるように。

「──またね」

 わたしの声が、響いて。静かになった。でも、孤独なんてこれっぽっちも感じなかったの。まるで、それはわたしじゃないみたいに。

「あっ、モコ。おはよう!」

 ピエール、ポワール、ベル──家の前には、いつもの三人が集まっていた。そして、ベルさんの使い魔である炎の虎、フィルーも幼体で右肩に乗っている。

「お、おはようございます……」
「目的地は?」

 横では、アークがポワさんに問いかけられていた。

「流れるままでいいんじゃねえの?」

 がさつなアークは適当だったけど、でも、ピエールさんは違った。

「いや、実は一応の目的地だけは考えてあるんだ。ここを出て北東へ進むと、飛空艇で大きくなったウィルゲルっていう国がある。まずはそこを目指そう」
「おっ、だったらそこに行くか!」

 目的地を決める前から、わたしは明確な旅の目的を持っていた。けれど、誰にも言えなくて。訊かれても、きっと答えない。だって、悲しませてしまうから。わたしという存在の残滓をすべて消して、わたし自身も消えてしまえる魔法を探したいなんて──そんなこと、誰にも言えなくて。だって、そうでしょう? 誰かに内懐を明かせるほど、わたしは浅くない。誰にも言えない秘密と言えば、聞こえはいいけど。

「さて、この町ともお別れだな」
「いつか帰るんだ、別れじゃないさ」

 わたしの希死念慮が、みんなを連れ出そうとしていた。ここじゃない、どこかへと。──どうしてついてきてくれるんだろうとか、そんなことは考えない。わたしのためにも、みんなのためにも。
 それでも、消えてしまいたくても、わたしはこの四人といっしょにいることが好きだった。少なくとも、消えることを望むよりは──だから、わたしはあと少しだけいっしょにいてもいいと思える。それでも、消えてしまえたらいいと思うままなら、いいね。

「そうだな」

 アークが歩き出す。どこへ行くでもない足取りはやけに軽いようだ。続け様にピエールさん、ポワさん、そしてベルさんが歩き出す。──わたしも行こう。旅路の果てに願うものは、きっとみんなと違うけど。わたしの願いだって、誰も知らないままだけど。
 ただ、笑って終われる旅じゃないということだけは、わたしにしかわからないことだった。それだけはわかっている。どうして希死念慮を抱え込んでしまったのかも、どうして生という終身刑に囚われているのかも──それでも、どうして夢を見たいのかも、全部わからないけど。せめて今だけは、みんなといっしょに生きていよう。それがわたしの幸せになるのなら、きっと救われてくれるから。

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一片

クレール旅行記

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