なぜ日食はなかなか見られないのか?

5月の月食は残念ながら自分のところでは見ることができなかった。全国的にも、あまり見ることができなかった地域が多かったらしい。スーパーナンチャラとかいうのはどうでもいいのでスルーとして、次は11月である。意外に近い。惜しくも皆既ではないのだが、かなり深く欠ける月食になる。

ところで日食と月食ってどっちが多いのだろうか。
半年後にまた月食があるという話からも伺えるように、なんとなく月食のほうが多そうな気がする。

実はそうでもない。一年に起こる日食は2〜5回といわれる。一方で一年に起こる月食は0〜3回なので、実際のところ日食の方が多く起こるのである。

実際、「理科年表」2020年版を見てみると、2012年から2030年の間に起こる月食は27回、日食は42回ある。つまり、日食のほうが圧倒的に頻度が高いわけだ。

じゃあ、どうして「日食は少ない」というイメージがあるんだろうか。もちろん、月は太陽と違ってしょっちゅう欠けているので、インパクトがいくぶん小さいというのもあるかもしれない。

でも、それ以上に、実際問題として「少ない」のである。

日食や月食が起きると言っても、いつも見られるとは限らない。天気のことはおいておくとしても、そもそも見られないこともある。とりあえず、日本で見られる、と限定してみたらどうなるか。

先程の19年間の間に日本のどこかで見ることの出来る日食は7回。一方月食は20回見ることができる。もちろんどちらも日本全国で見えるというわけには行かないので、一部地域でしか見えないものも含んでいるのだが、それはさておき、頻度が逆転してしまっているのだ。つまり、世界のどこにでも飛んでいけるのならともかくとして、日本から見えるかどうかだけで考えていれば本当に「日食は少ない」のである。

この差は、いったいなんなんだろうか。
なんのことはなくて、日食と違って月食は、地球の影に入ったときに月が空に出てれば見ることが出来るのだが、日食は地球の一部しか影に覆われないので見える範囲がより狭くなっているためだ。もちろんこれが皆既や金環の見える地域となるとさらに狭く、細い帯のエリアでしか見ることが出来ない。日本国内で次に皆既日食が見られるのが2035年9月2日というのはもうそろそろ「あまり遠くない未来」になりつつあるが、これは私が子供の頃から日食を紹介する本の中ででてくる日付でしたからね。もちろん2009年の奄美大島で見られる日食のほうが先に起きる皆既日食として記載されていたが、本州の陸地に大きくかかる日食だからということで、たいていはこちらもあわせて取り上げられていた。

ところが月食は、見える場所ならどこでも同じ欠け方をする。欠けたまま沈んでしまうとか、逆に欠けたまま月が上ってくるというような場合はまあ確かにあるのだが、それ以外では基本的にどこでも同じである。

単純に考えれば、ある時間に月が出ている地域は地球の半分である。だからそこにある地点が含まれるのは五分五分。実際には月食は一瞬ではなく何時間かにわたって続くし、「日本で見える」となると北海道から沖縄のどこかで見えればいいのでその分更に増える。というわけで、27回中20回は見ることができる(74%)ということになるわけだ。日食の場合は起きている時間帯に太陽が出ていても必ずしも日食になるとは限らないから、見えるのはわずか17%にすぎない。「日本のどこかで」ではなくて自分の住んでいるところで、とすると見えるものは更に減るが、逆転はまあしないだろう。これは、別に日本に限らずどこでも同じような話になるはずだ。

もっとも、日本に限定するならもう少し別の論点もないわけではない。

先程、日食は年に2〜5回起きるという話だったが、それはあくまで起こる回数がこの範囲にある、話であって。これらが2回起こる年も5回起こる年も同じくらいあるのかというとそういうわけではない。実際のところ起きる日食の回数は19年で42回なので、平均すると年に2.2回である。ということは、3回以上起こる年はかなり少なそうだということだ。

ちゃんと内訳を見てみると、4回起きる年が1回(29年)、3回起きる年が2回(18・19年)、2回起こる年が16回。つまり、たいていの年は2回しか日食は起きないのである。それ以上多く起こる年というのはごく少ない。
しかも3回の日食が起こる18年と29年は、その3回のすべてが部分日食ということになっている。これは、「自分の住んでいるところでは部分日食」という意味ではなく、世界のどこでも部分日食しか起きないというケースである。つまり、多く起こる年だからといって皆既・金環が多いわけでもないのだ。

もう少し長い範囲を広げて20世紀のデータを見てみると、3回起こった年が14回、4回起こった年が5回、5回起こったのは1935年の1回だけ。あとの年は全て2回しか日食は起きない。そして、年に3回起こった14年のうち、9年は起こった日食3回中の3回が部分日食しか見えないものだ。年に4回起こった5年に見られた日食のうち、1917年に4回中1回金環日食が交じっていたのを除きすべてが部分日食。日食が5回起こった1935年に見られたのはすべてが部分日食である。

つまり、3回以上起こる年の日食は高確率で部分日食ということだ。

とはいえ、どうせ皆既や金環になる日食でも、日本と限定すれば部分日食しか見えないのが大半だろう、そこにこだわる必要はあるの? と疑問に思われるかも知れない。

確かにそうなのだが、部分日食しか見えない日食、というのはどういうことか考えてみる必要がある。

よく模式図で描かれるように、日食のときに皆既・金環日食として月と太陽がすっぽり重なる(本影)の周りに、部分的に欠ける半影が出来る。実際には月が動いていくので本影のかたちは帯のようになり、その両側に部分日食のみ見られる地域が出来る。

では部分日食しか見られないケースというのはどういうことかというと、月が、地球に対して少し上か下を通っているため、本影が地球に当たらないという場合である。ありていにいえば、地球を月の影がすこしかすっていくような感じになっている、ということだ。

この場合、かすっている影はどちら方向にずれるかといえば、それは太陽の周りを回る地球の公転面に対して上か下にずれるわけである。つまり、その場合半影が影を落とすのは北極付近か南極付近ということになる。もちろん実際には地球の自転軸は公転面から23.4°傾いているので、季節によっては比較的緯度の低いところにくることもあるのだが(後述)、例えば赤道直下だけで見える部分日食というのはないわけだ。そうなると、こういった部分日食しか見られないような日食が、緯度があまり高くない日本で観察できるということはかなり少ないし、起きても少ししか欠けてくれないということが多いのである。

ということで、年に3回以上の日食が起こるような回数の多い年というのは、なかなか「日本で見える日食の多さ」に寄与してくれないのだ。

例外としては、たとえば1992年12月に起きた日食は世界的にみても部分日食であったにもかかわらず日本国内では半分くらい欠けた。これは時期的に冬至が近かったので、北極側の自転軸がほぼ完全に太陽の反対方向に倒れていたため、月の半影がかなり南に落ちていたためだ。なんせこのとき北極圏はほぼ全域にわたって極夜である。そもそも太陽は出てこない。

このように12月や1月に北半球で起きる部分日食の場合は、もちろん影のかすりかたの度合いにもよるのだけど、かなり緯度の低いところまで影が届くことがある。逆に6月や7月に南半球で起こる部分日食でも同じ現象が起こるが、さすがに日本に影がとどくことはないと思う。

それだけではない。

日食一覧をよく見ていくと、更におもしろいことが分かる。年に2回日食が起こる場合には、片方は主に北半球で見え、もう片方は主に南半球で見える、という組み合わせになっていることが多いのだ。もちろんそんなきれいに分かれるとは限らないので、一部がもう半球に食い込んでいることも多くあるのだが。当然日本で見ることができる可能性が高いのは北半球で起きる場合。南半球でもたとえば皆既や金環のエリアがインドネシアあたりを通っていれば日本でもぎりぎり、ということもあるのだが、まあ大きな食分にはなりにくい。

なんだか話がとっちらかってきてしまったが、つまり、年2回の日食が起こる年の場合でも、日本で見える可能性のある日食はそのうち1回だけ、ということになる。これでその1回が日本の反対側の経度で起きるならもうダメなわけで。そう考えていくと、さらに確率が下がるのが道理ということになる。

一方月食はどうだろうか。同じように計算すると、平均して一年に1.4回の月食が起きるというわけだが、その内訳は0回が3年、1回が6年、2回が9年、3回が1年。1回か2回くらいの年が多いということになる。そして、前述のように北半球南半球関係なく、その時間に月がでていれば見ることが出来るので、ずっと多くなるわけだ。

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