みかけの月の見えかた

すっかり間が空いてしまった。書くネタがなかったわけではないのだが、というかむしろ季節が回ってしまい書けなくなったというか。

というわけで(どういうわけだ)、先日は中秋の名月であった。もうそこから次の新月がやってきて過ぎちゃいましたけど、ネットなんかでもずいぶん月の写真があがってましたね。

中秋というのは秋の真ん中のことである。むかしは四季のそれぞれをさらに初・中・晩に分けて計12にして、一月ごとにあてはめていたから、秋の2番目の月が中秋というわけなのだが、これは旧暦なので注意が必要。旧暦の月はおおよそ今の暦とは一か月ずれるからだ。

 ともあれ、春が1・2・3月、夏が4・5・6月。1月が春と言われても全然ピンとこないかもしれないが、旧暦だから今使われている新暦なら2月ごろである。

 それでもやっぱり全然ピンとこないだろうか?それは旧暦での「春」と今イメージする「春」が別物だからだ。1月終わりの一番寒い時期をすぎて、少しづつ寒さが和らぎはじめるのが「初春」である。今の感覚だと、一番寒い時期を挟んだ「寒い時期」が冬というイメージが強いので、2月は冬にしか思えない。

 まあそれはさておき、秋に相当するのは7・8・9月である。やっぱり何かイメージと食い違う人が多そうだが、今なら8~10月ごろにあたる。8月が秋というのもやはり春と同様イメージしにくいが、十分暑くなりきってこれから下降に転ずるとき、と思えば間違ってはいないですね。そして、その真ん中の月、8月に含まれる満月が中秋の名月ということになる。旧暦は月の満ち欠けと日付があっているから、旧暦8月15日だ。実際には月の公転周期に多少揺れがあるため本当の満月から少しズレることもあるが、中秋の名月は暦の行事で現在の天文学とは本来は関係ないので、暦の方を優先する。

 というわけで中秋の名月なのだが、月の大きさというのはどれくらいだろう?

 地球の1/4くらいだろ、という人もいるかもしれない。そりゃあそうだが、今言っているのは見かけ上、月がどれくらいの大きさで見えるのかという話だ。マンガなんかだとずいぶん大きく描かれているし、古い歌には盆のようなと唄われているし、かなり大きいイメージがあるのじゃないかと思う。

 こういう話で、よく使われる話がある。手をいっぱいに伸ばして持ったとき、満月の大きさと同じ大きさに見えるものは一体何だろうか?

1 おぼん(直径30cm)
2 皿(直径20cm)
3 りんご
4 みかん
5 十円玉
6 グリーンピース
7 マッチ棒の頭

 選択肢は何森仁他「数学と私たち」(大月書店)で使われていたものをそのまま用いた。みかんは横から見るとあまり丸くないのだが、まあ上から見たとしてくださいよ。

 さて、急に話題は変わるのだが、月の写真を撮ってみたことがある方は、普通のレンズを使って撮影したそれが思った以上に小さくてガッカリしたことはないだろうか。特に、写ルンですやズームを使わないでスマホカメラで撮った場合はそうではないかと思う。こういったカメラは広角よりのレンズを使ってあるので、画角が広いので余計に小さく写ってしまうのだ。別に悪意があるわけじゃなく、スナップや家族写真を撮るときにはこのほうが便利だからである。しかし、月をそれで撮ると、思った以上に小さく写ってしまう。

 月の大きさはどれくらいか。さっきの選択肢だと「センチメートル」(下の方はミリメートル)で測れるけれど、実際にはもちろんそんなわけはない(それでよければ、答えは「約3700km」である)。

 空の上での「見かけの大きさ」、別に空でなくてもいいのだけど、「見かけの大きさ」は角度を使って表す。拳骨を突き出して腕一杯にのばすと、それはだいたい10度となる。実際には度より小さい単位も多用するから、度の60分の1が分、分の60分の1が秒。

 1度だってすごく小さくない?と思うけれど、それは普通は角度といえば紙の上で分度器を使って測るものという印象が強いからである。半径10cmの分度器(文具としてはかなりでかい)でも1度は1.7mmくらいだから、確かにごく小さい。でも1mなら1.7cmだ。
1mの分度器なんてないじゃないかと言われそうだが、だから分度器から離れて考える必要があるのだ。これはつまり、1m先にある1.7cmの物体(ビー玉とか)は1度の角度1度で見えるということだ。これを視角という。案外大きいでしょう。

 ちなみに角度としての分は日常生活ではあまりなじみがない単位なのだが、距離5mから見たときの1.5mmの物体が1分に相当する。え、具体的な数字を出されてもやっぱりなじみがないですか。でもこういい変えたらどうだろうか。これは、視力検査の時に使う輪っかの、視力1.0の基準に使うものに入った切れ目の幅と、検査の時に検査板からとる距離に相当する。つまり、視力1.0というのは角度1分が見分けられるということなのだ。視力2.0ならその半分、30秒が見分けられるということですね。

 では、このように視角を使って表した場合、月の見かけはどれくらいなのかというと、約30分である。つまり0.5度。

 小さい。案外小さい。ちなみにスマホカメラの画角は対角線で75度くらいなので、そりゃ月は豆粒に写るわけだ。では、腕をいっぱいに伸ばして持ったときにこの視角に相当するのはどれくらいの大きさのものになるだろう

 さきほどの1m先の約1.7cmの物体が1度ということからもある程度想像できると思うのだが、お手元の関数電卓をたたいてみてほしい。答えから言うと、4.5mmくらいになる。まあ腕の長さは人によって違うけれど、まあ4~5mm。

 なので答えは「マッチ棒の頭」になる。先入観とは違いますねー。

 で終わらせたって良いのだが、しかし、じゃあなんで「盆のような」なんだ、という疑問は残る。歌だから豆とか砂利石とかナンテンの実とかじゃさまにならないからだろうというのは分かる。でもそれを離れて、たんにイメージとしても、もっと大きいものに相当するイメージが拭えない。

 ここからは自分の想像になる。

 そもそもの問題としてですね。みなさん、何か持って、手を伸ばして月と比較したことあるでしょうか。あるとしても、それは意識しないとやらないのではないだろうか。見た目、月と並んでいてつい無意識に比べてしまう対象は、むしろ「景色」じゃないでしょうか。

 景色ということは、それを構成しているものもけっこう遠方にあるということだ。ということは、月と視角を比べる対象となるもの自体かなり遠方にあるわけで、当然月の大きさに相当する視角0.5度を占めるのに必要な大きさもおのずと大きくなるわけで。

 たとえば、10m離れたところで月と同じ視角0.5°を持つ物体は約9cmである。50m離れていれば約43cm。100mなら87cm。1キロなら8.7mになる。
つまり、庭先のカキの実とか、少し離れた家のテレビアンテナとか、そういうものがだいたい月と同じ視角を持ったもの、つまり同じくらいの大きさのものとして見えるわけだ。

 時々、城などの建築物と異常に大きな月が並んだ写真などがあるが、あれはうんと遠方から望遠レンズなど使って撮影しているのである。別に標準レンズで撮ってトリミングしてもいいはずだが、まあ望遠レンズ使った方が画質良いよね。一見すると不自然に見えるけれど、ランドマーク的な建物は遠くからでも良く見えるし、距離を置いて見ることが多いから、こちらのほうが自然とも受け取れうるということなんだろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?