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☆おっさん骨肉腫(肺転移)闘病記 〜その15〜

大腸がん治療後です。その後また定期的な検査の段階に入りましたが、今度は安心して過ごせた期間は短かったです。 2016年夏、右肺に転移疑いが見つかりました。初めは 3〜4mm ほどでしたがその時厄介だったのは普通できやすい肺の外側の方ではなくかなり根元、心臓に近い場所にできたことでした。

外側の方にできたものなら、その部分だけ切り取ればいいそうです。ですが根元の方にある場合は、根元から外側に扇状に広がっていく部分全てを切り取らなければなりません。肺は左右どちらも3つに分かれており(上葉、中葉、下葉)、初めそのうちの1つ、つまり3分の1を取らないといけないということでした。そして同病院の外科を受診した時、「手術したら取れる。」と言われました。

この時、私が外科手術が初めてなら、この段階で手術したかもわかりません。ですが前の大腸がん手術の時に生まれた否定的な思いが、「手術は絶対にイヤだ、他の方法を探す❗️」と、自分に強く訴えていました。

この時から結局他病院で肺の手術をするまでの期間は、はっきり言って思い出したくありません。迫り来る恐怖を常に感じながら、自分の決断にハッキリとした自信も持てず迷走していた、と後になってわかるからです。心臓に近い、ということも恐怖を増幅させました。「もうどうせ近いうちに死んでまうんや!」そう言って母親に涙したのもこの時期だったと思います。自分が選択した事への悔しさもあったんだと思います。またこれは骨肉腫になった人にしかわからないでしょう、大きくなる速さ、それは言葉では表すことができません。

振り返れば結局その時期はいろんな方法をつまみ食いしていた感じで、どんな方法も落ち着いて本腰入れられるような状態ではなかったのです。インターネットで情報を仕入れる時の注意点にも書いた大切なこと、落ち着き・安心感が欠けた状況でした。大腸がんの手術の出来事を、今ぐらい落ち着いた気持ちで振り返る事ができていたなら、そんな事もある、と受け入れられていたなら、違う選択をしていたでしょう。

ですが後悔はしていません。最悪の期間も今はこのように理解する事ができるし、また自分にも、そして読んでくれている方や周りの方にも、糧になると信じています。大いなる試練よ、ありがとう。

ところでこの時私は多分ビビりまくっていたのでしょう。言うは易し、ですが、あまり死を怖がってもいけません。生まれてすぐ、死を選ぶ魂もあります、周りの環境により、子供のうちに死ぬ魂もあります。そう考えれば、今まで当たり前のように生きてきた事は、いろんな人や物が見守っていてくれたからであり、決して当たり前ではないのです。生きる長さは問題ではありません、何を学ぶか、人に何を与えるか、です。死も、単なる選択肢の1つです。死ぬことは何にもならないと思いますか? そんなことはありません、本人が望む望まないに関わらず、残された人に多くを与えるでしょう。ゆっくりと少しずつ流れる川もあれば、すごい勢いですぐに流れ過ぎていく川もあります。どちらを選ぶか、というだけです。これは、今現実に骨肉腫で亡くなる人も少なからずいる、という事を踏まえたアドバイスになるかも知れません。やはり、現状では避けては通れない話題なんです。

そうは言っても特定の状況で、平常心でいろ、というのはムリかもわかりません。ですが未来の自分を含め、なるべく周りの出来事に影響されないでいて欲しい、自分に関して言えば影響されない自分になって欲しい、と思います。

先にも書いた通り、その後半年弱の間私は迷走していました。その間に転移した肉腫は心臓に接するようになり、胸の痛みも2カ月ほどズキズキと感じていました。大きさは3〜4センチほどになっていたと思います。結果手術で取れましたが、取れなかった結末も十分に起こり得ました。今までの闘病生活の中でもっとも生命の危機を感じましたが、次はその半年弱の間のことを書いていきたいと思います!

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