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マロリーワイス

やおきんで一番おいしい商品をご存知でしょうか。

うまい棒(めんたい味)?

うまい棒(コーンポタージュ味)?

キャベツ太郎?

いえいえ違います。

サワーペーパーキャンディ(サイダー)

です。

原材料:水飴、砂糖、小麦粉、植物油脂/酸味料、香料、着色料(スピルリナ青)


それはさておき私はマジモンの最貧民の出自、大阪のデッド・エンドで生まれし者です。

昔付き合ってた人に「貧乏は状態のことじゃない。一生治らない病気だよ」と言われたことあり。

言い得て妙、これは武田双雲先生に書いてもろて掛け軸に飾らなあかんと思いました。

それはさておき先々週『市子』という映画を観ました。

主題は元よりそもそも設定の限界大阪のノスタルジアにシビレました。

子供の頃の市子がお金持ちの友達ん家に遊びに行く感じ、ほんまにここに一家複数人が住んでんのかっていう団地の感じ、ダイエーみたいなスーパーの2階で盗品をプレゼントしようとする市子とその友達の感じ。

私が小学生のとき、増田(仮名)って奴が別の友達から盗った100円を自分の水筒に隠したまま帰ろうとしたけどカランコロン鳴りすぎてバレるという事件がありました。

正直言って私は身に根ざした"貧"を取り払うことができません。

映画を観てても同じ。

邪魔になると分かってても本筋とは関係なくその世界のオープンワールドをpov視点で歩き回るぐらい没入してしまいます。

ドレイモンド・グリーンが本気で暴れれば人力で取り壊せる世紀末バラック文化住宅で生まれ育ったことによる"貧"を体内から取り除くことができません。

フィッシャー・タイガーが共生の道を目指しながらも自身に人間の血を入れられなかった逆で、作中に子供のナチュラルボーン貧乏が描かれてたらオートで集中力が80ポイント上がってまう。

"貧"という惑星にサテライトするバグッた人間の感情、または両者が相互に作用していなかったとしても必要以上に注目してまう。

それはさておき今年ある直系血族が死にました。

正確に言うと今年死んでたらしいです。

親族はそれを知らず、自治体?が自宅の荷物を処分した(そういうことをやってくれるらしい)ときに連絡先が分かって一報をくれた模様。

墓はなく無縁仏に安置されているということで、お参りに来てはどうかと知人(親族ではない)から連絡がありました。

私事ですが家族は散り散りになってまして、存命の者だけでも最後に集まったのはもう2ケタ年前になろうかと思います。

ついに時至れりと見て、一堂に会した暁には「いやこんな何人も変な死に方してワシらはディアトロフ峠事件か!」と添えて場を和ませる算段でしたがそれは叶いませんでした。

ある肉親が「集まるべきではない」と言ったそうで中止になりました。

新大阪行きの新幹線のチケットは取っていたので、せっかくなので色々見て回ってきました。

天満の隘路(隘路ニイ)
大阪ステーションシティの斜め屋根
中崎町「らーめん香澄」の魚介まぜそば

「育ちが良い」という形容詞を人から聞くとき、その裏にある「育ちが悪い人間」の存在は白く塗られているという意味でその人の心の綺麗さと、今自分が映画観たり漫画読んだり好き勝手生きれてることを実感します。

M-1楽しみです。

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