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Three Boreds Outside Ebbing, Araiyakushi


今週のある日、毎日通るコンビニの前に、負傷した土鳩が佇んでいました。

脇腹?の部分がえぐられ、大っきいラズベリーを貼り付けてるみたいになっています。

ハトはどこを見るでもなくじっとしていました。

運が悪かったのか、鈍臭かったのか、傍目には結構ダメそうな感じに見えました。

その表情は哀しそうにも、何も考えてないようにも見えました。

その日の夜、もう一度おなじ場所を通りましたが、コンビニの前には何もいませんでした。

血溜まりがあるわけでもなく、ハトがいた形跡ごと無くなっていました。


新井薬師前に住んでいたとき、駅前にある四文屋の前の道でジジイとジジイが邂逅していました。

ジジイAは靴をちゃんと履いていません。

ジジイAがジジイBに対して、「これ2年保つから!これ2年保つから!」と言って何かを手渡していました。

私はこれが今生の別れになるかもしれへんのにな、と思いました。

私がジジイ達の前に到着する数秒前にジジイ達は別れ、ジジイBが私のほうへ(駅に向かって)歩いてきました。

日常的にアルコールを多量摂取してると断定しても1人の異論も出ないであろう風体(アル中ルック)のジジイBはすれ違う瞬間、私に向かって「今日感染者数だいぶ減ってたな」とうれしそうに言いました。


20歳ぐらいのとき、高校で同じ部活だったやつが死にました。

そこまで仲が良かったわけではなかったけど、何年かに1回ぐらいはそいつのことを思い出します。

申し訳ないけどあまり偲ぶとかいうニュアンスではなくて、もし自分があいつの年で死んでたら、あいつが死んだ年以降で経験したことは無かったんだな、と。

アレもアレもアレも無かったんだな、と。

今度数年ぶりに高校の友達に会います。

生きてるのがめんどくさくなって、無になってしまいたいと思ったことがこれまでの人生で無いではないけど、今のところ時間があればやりたいことがたくさんある。観たいものがたくさんある。行きたいところがたくさんある。

まったく虚な誰かのコピー人生、ズンズンポイポイに比べたら何の価値も無い人生だと思うけど、まだ生きていたいと思います。

死んでるのも生きてるのも実は愕然とするような差は無いと思う。でも自分はまだ生きていたいと思います。

公開日が近付くにつれ、リコリス・ピザの期待値を上げ過ぎてしまっています。

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