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ハンディキャップ


疲れ果てている事は誰にも隠せはしないだろう。

スーパー銭湯のつぼ湯で寝落ちしている50手前のおじさんを見てれば、まーそう思っていただけるのでは無いか。

…さぞかしリラックス出来たと思いきや、ふと左手に違和感が走った。そして違和感と共に危機感と不安、何とも言えない「ヤバさ」に包まれた。つぼ湯から露天風呂に移動して雨模様の空を見上げながら目をつぶって自分の状態を確認する。。

やっちまった…多分、橈骨神経麻痺 だ…

「多分」と言ったのは、自分がエッセンシャルワーカーではないし、あくまで今回の症状が過去の経験に似ているだけだからだ。前にこうなった時は1週間程度で痺れは消えた。それでも痺れがある状態の時は、これが一生続くのかもしれないと絶望感に見舞われたし、勿論今もそうだ。

リラックスするために風呂に行き、ダメージを受けて帰る。愚の極み。

この文章を書き始めて1週間経つ。痺れは消えない。この痺れが一生続くと何かにつけて以前の自分と比較してハンデが生じる。

仕事中のハンデ。周りが「アイツまだパソコン打ってんのかよ」とか「何で軽い荷物を一個ずつしか持たないんだよ」とか感じる「かも」しれない。生活でのハンデ。「飯が食いにくい(レフティなのだ)」「下の娘(ミニチュアダックス)を抱き上げようとして地面に落としてしまう」「なんだかイライラする」などなど。

人間は、人生は何が起こるか分からない。精神的にハンディキャップを持ってはいるが肉体的には健常だと思っていた自分に起きた今回のハンディ。ずっと付き合っていかなければいけないのか否か…それは分からないけどもしも今回もあと2週間もしたら何事も無く痺れも消えてしまう未来なら、何不自由なく左手を動かせる事に感謝する事もなく愚かな俺は過ちを犯して生きていくのだろう。2週間後に痺れが消えて無い未来ならば、不安が増しネットを漁りビタミン注射を検討したり、あの時つぼ湯に入らなければ、とかグルグルと思考を巡らすのだろう。

左手で持っていた携帯は既に2回落とした。痺れた左手を常に感じながら、今日は誰かの誕生日、今日という日は何としても生きたかった人が生きれなかった誰かの明日、などという思いに駆られている。

意味合いが違うのは承知。だがハンディキャップを克服しようと頑張っている全ての人よ、俺はそれを尊敬します。目に見える、耳に入ってくる情報に対してでしか反応出来ないけど素直にそう思います。というか思うようにします。そしてそんなフワッとした人達のためにアクションを促すムーヴに接した時は自己満足と揶揄されても構わない覚悟で出来ることをやりたいと思う。

一体全体何なんだ、と自分でもうんざりするがハンディキャップを感じて初めて分かることがあったと言う事を備忘録として書いておきたかった。多少なりとも世に晒す事で言葉を選び自分にに問いかける行動をこれからしたかった。のだろう。

俺の歴史に、また1ページ。




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