こんな後悔はしてほしくない

 自分のことは、自分でどうにかしよう。とにかく、この困難をお互い生き抜こう。
 という方針、考え方では、自力ではどうにもならなくなった人達から消えていくんだと思う。そうなってしまうのは、そうなってしまった人達の能力不足の問題だと、自分自身に言い聞かせているのか?
 本当は、この社会のあり方の問題に気付いているのでは?


 「コロナに罹ったのは運が悪かったね。」なんていうのは、「“夜の街”に行ったのが悪い。」とかいうのよりは遥かに優しいしそうだと思うけど、本当は政府の対応の問題が響いていることだって、分かっているんでしょ?
 運の問題はなくならないかもしれないけど、罹ってしまった人への対応や、対応する人への支え方なんかは、選択できること。自己責任を押し出してどうなった?助けてほしい人達でさえ、声が上げられなくなってきてない?ブルーインパルスを飛ばしたから、感謝になった?むしろ、だから文句を言うななんて話になってない?


 私は、まず自分のことをどうにかして、生き抜いて、その上で人を助けようだなんて形にはなれなかった。そもそも、社会環境上、自分のことをどうにかしようとしたら、それだけで精一杯になってしまう。さらに、人の困難から目を背けていれば、どんどん自分の首が絞まっていくことに気付いていた。
 つまり、周りの人たちを助けないと、自分は本当には助からないことを知っていた。自分の生活している環境からあれもなくなった、これもなくなった。なんて生活はご免だ。ただ悲しむだけの物語として消費したくない。


 だから、あらゆるものを削って力を注いできた。研究していたかった。制作していたかった。でも、それをしていたら、それができなくなる人達が増えていくことは目に見えていた。


 まだ声は上げられている。まだどうにか動ける。それでも、社会環境がじわじわと追い詰めてきているから、このままでは、私はじきに沈黙するだろう。
 人のことを見捨てる自分なんて、私には耐え難いことだから。まだ大丈夫?まだ声を上げるほどじゃない?そうかもしれないね。でも、それはあくまでも“あなたは”だからね。


 知らなくて大丈夫だとか、面倒がってやんわりと忌避する人が、もっと減って、今までとは違う努力をしないと…お互いに生き抜こうだなんていうのではなく、それぞれの困難に声を上げないと、多分、いやもしかしたら、いつかあなたの“運が悪かった”時、本当に後悔するかもしれない。あなた自身に危機が訪れた時、あなたに見捨てられた人達と同じ思いを味わって、初めて気づく?
 その時には、今より、声を上げられる人達は“減っている”んだろうね…。より、抗うことは大変になっていると思う。
 そんな後悔、私はしてほしくないよ。頼むよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?