国が大学に対して行っていると思うこと。


国立大学の経営協議会の議事要録を読んで、感じたことをそっくりそのままお届けしてもぱっとしないかもと思ったので、例え話にします。

日本政府を親に、国立大学を子供たちに置き換えます。

親は、子供にかけるお金は基本的に削減します。無駄は許しません。
お小遣いには、生活費を含めて与えます。どんな服を買うかといったことは、本人の意思に任せています。
何にいくら使ったかは報告させます。

自分の子供たち(兄弟姉妹がいるものとします)を様々な項目で互いに競わせ、評価します。

一度渡したお小遣いの一部を戻させて、優れた評価の子供には多く渡し、劣った子にはその分差し引いて渡します。
年々、お小遣いの中の生活費の割合を削って、こうして再配分する額の割合を増やします。
怠ける子供にやる気を出させるためであり、親が欲しい成果に子供を挑戦させるためでもあります。

子供たちは生きることに必死で、親に好かれよう・より多くのお小遣いを貰おうと頑張ります。
兄弟姉妹は競争相手であり、自分の評価が上がることは兄弟姉妹のお小遣いを減らすことにつながっています。

生活費が減っているので反抗する子供もいますが、親は全体的な額は増えているとか、叔父叔母の介護にお金が必要だなどと言って掛け合いません。
対策として、親を頼らずに、他の人たちに自分の有用性をアピールしてお金を集めるように言い、集めることも成果の一つとして扱います。
見映えのする科学実験などが好きな子にとっては有利に立てることですが、そうではないことが好きな子にとってはとても不利になっています。

親は栄養失調の子供には存在意義がないと考えています。そもそも成果を上げる子供以外は要らないのです。
子供が減っていくことがよく問題視されますが、親は別段対策を立てません。なぜかは分かりません。コントロール不可能なことだと言います。

高評価の項目として他には、世界から注目されるようなことや、英語が上手になること、理数系の点数が上がること等があります。
子供たちには、お小遣いを何に使うかといった自由は与えられていますが、生活費がどんどん減っていることと、評価のことがあるので実際には無いに等しいです。
それでも建前上、自由だとしているのは、何か問題が起きた時に子供が自発的にやったものだと責任を転嫁するためでもあります。

最近は、親が新しい決まりとして、お小遣いのうち「靴」を買うお金については別途与えるというものを作りました。
但し、より親に従順であることが条件になっています。

親はさらに、子供たちが協力して、お小遣いを得ることを推奨し始めました。例えば二人で一緒にお小遣いを貰って、分け合うということです。
親によると、協力することで、相互の成績が上がったり新しい魅力が出たりすることで他の人からお金を得られるといったメリットがあるそうです。

子供たちは協力関係を築くことは難しいのですが、少しでもマシな生活を送るために頑張って模索します。
相手に主導権を握られない方法や、自分が使いたいものと相手が使いたいものが被らないことなどを慎重に考えます。

大雑把に言うと、このような感じになります。

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