学費値下げへの思い

 大学に来た理由には盲目的なものもあって、身内の問題で長年苦しめられ、自傷行為に走っていた自分が、唯一、死を先延ばしに出来た分野で、志せた世界。美術は元々好きだったけど、別に肯定的に志せたわけではない。自殺すると悲しむ人がいるとか、首を吊ってみたけど完遂出来ないといった中で、強制的に将来を決定するように迫られた自分が、逃避感覚で選んだ世界。本当は、何よりも家庭環境の不和をどうにかしたかった。誰かに解決して欲しかった。

 大学での学びによって、やっと、自分は間違ってはいなかった、あれは虐待であったと認められるようになれて、心が軽くなった。別に、大学に来なければそうはなれないとは言わない。けど、知識…教育が人を救うことがあるって思うと、その機会を奪うなと私は言いたい。色んな方法があると思うけど、それを理由に、選択肢の一つを奪って良いのだろうか。私は否だと思う。
 これは、生涯学習ってことになるんじゃないかなあ。

 三浪して、一年間私立大学で仮面浪人になってから、今の大学に入った。受かった身で言うのもなんだけど、受かっていなかったら多分、自殺していたと思う。それほど国立大学を唯一の選択肢にしていた自分には、最初触れたように、盲目的なものもあったとは思う。でも、それしか縋るものがなかったんだ。

 自己責任なのかな。

 私大との格差を埋めるために学費を値上げするのは違うと思うよ。私は、経済的な理由も大きかったから。私大と比べて安いって、どこまで差が縮まるまで言うんだろう。それってどれくらい問題なのかな。

 でも当時、精神を病んでいたから、具体的にどれくらい厳しいのかは、わかっていなかった。ただ危機感を煽られた、余裕のない人になってた。

 親がお金持ちでも、DV問題があるとか、子供に投資しないといったところは授業料免除、どう審査されているんだろう。

 家庭環境の不和って、解決っていうのが離婚という場合もあるでしょ?人生観などの不一致。私の所は、私が独り立ち出来るように支えるために、解決しなかった。そのために、なんだか核の部分がないまま、歩いちゃったとも思う。表現が乱暴かもしれない。

 誰にも助けてもらえないって人にとって、選択肢の一つに、多分、学びがあって良いと思う。

 大学進学で借金地獄になるってことはわかっていた。でも、新聞奨学生で専門学校に通い切ったことを自慢された時に、これはなにか仕組みがおかしいって思ったんだ。漠然と。体力自慢とか…あるべき男像みたいなものの押し付けも感じた。

 

 教育ローンを借りてくれた人は、家からいなくなってしまった。

 色々責めたいことはあるけど、なんか、彼の責任にするっていうのは腑に落ちなくて。

 彼をそういう人間に育てた社会環境…こっちに問題を感じている。


 当時の私は、学費を値上げされても藝大を目指したと思う。それに注目する暇がないし、不安定な身分過ぎたから。
 今の受験生、大学院に進学したい学生は、どうなんだろうね。多くの人が、やっぱり目指すのかな。私大と同額になっても変わらないのかな。
でも、自覚しようがしまいが、平気と言おうが辛いと言おうが、徴収額は上がっているわけで。

 ともかく、こんなに学費が高くなければな…。

 ずれた感じはするけど、こういうことが、私なりの #学費値下げへの思い かな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?