ある教授の意見

ある教授に、学費値上げなどについての意見を聞いたので、まずそれを纏めて、次に私が括弧付けで意見したものを掲載します。

これは一時間聞いた話を思い出しながら纏めたものです。話の順序がバラバラになっていたり、細かなニュアンスがずれていたりする可能性がありますので、そのあたりは考慮をお願いします。

-------------教授の意見--------------

教授会には興味がない。
下らないと思っている。
基本的に報告を受ける場で、議論は出来ない。数えてはいないが美校では百名くらいが集まる。
そんな中で議論なんか出来ない。ただ賛否を問われることもあるため出席することもある。
大学の昔のことや詳しいことはわからない。
そもそも興味がない。
配られる資料にずらっと分からない数字が書かれているが目を通していないので覚えていない。
科の教授達での話し合いを提出する事はある。
こんなことは俺の仕事ではない。

学費の値上げにも興味がない。
年間たかだか10万円だ。社会人になれば単純に2か月で回収出来る。
学生の負担率は3割程度だろ、大半は税金だ。税金で学ばせてもらっていることを深く受け止めるべき。
学ばせてもらったことを世の中にどう還元出来るか考えるべき。
私大だと年間200万くらいだろ。私大なら自己負担だからお客様だが藝大は違う。

国立大学に雇われているというのは、税金で食っている立場だ。
俺は学生の負担で食っているとは思っていない。
経営のことなんて俺は知らない。俺の仕事ではない。アーティストだ。教育者でもない。

短期的な成果なんて求められない、100年後を見通した長期的な見方が大事。
技術などは卒業してからでも身につけられる。好きなだけ石を彫れる。
ただ制作をするだけではなく多角的なものの見方で、良い作品を作れるようになることが大事。
心が大事。
空を見る時、ただ見ただけでは、ただの空だ。
例えばニュートンが、リンゴが落ちるのを見て思いつくとき、そこに疑問を持てるようになるだけのものがあったはずだ。
そういう、疑問を感じられるようになること。
ニュートンについて詳しくは知らない。
学生が大学にいる内や、社会に出て数年で成果が出せるとは思わないが、その種を学生に植えて、いつか国民に還元されること。
人間を賢くすることが使命。
同じことを繰り返しても意味がない。学ぶことは変わることだ。諸行無常だ。
社会を変えるのはまず芸術からだと思う。それが経済を変えることに至る。
バタフライ効果だ。
こうやって話していることにも給料が発生している。
俺がここに来ているのは学生のためでも大学のためでもない。納税者のためだ。
君の前にも後にも学生の面談をするが、作品についての話だ。

学生の本分は勉強だ。学費について事務局などに確認して動いている時間があったら勉強するべき。
良い作品を作れ。
卒業してからやる方が良いのではないか。
それは納税者のなんのためになるのか。税金を無駄にするのか。受験生のためになるようでいても、もっと後の受験生からは恨まれるかもしれない。
もう決まっていることにあれこれ言ったってどうせ撤回も出来ないのだから無駄。
来年の入学生から値上がりするの?それを受験生は知っているはずだ。嫌なら受験を辞めればいい。
学生にしたって、嫌なら大学を辞めればいい。別に大学に来なくたってアーティストにはなれる。

貧しい学生のためには免除制度もある。俺はそういう学生のための書類にサインをしている。

評価にも興味がない。俺はそんなものは付けない。学生自身にやらせる。
まず自分で評価出来るようになるべき。先生などの評価を気にしてもしょうがない。

藝大に来ることで予備校の先生や就職などに有利になっている。その分のメリットを負担率3割で得られるのは安いもんだ。
それは国民のために還元すべき。
値上がりするということは、逆に納税者への責任が軽くなるということだろう。

国立大学の教職員の給料は安い。私大よりはるかに。
大学は本当に赤字なのだと思う。間違いない。
バスの保険が払えなくて廃止になるとか、機材の修理に費用を申請しても一万円を超えるものは拒否される。
無駄をしているようには見えない。切り詰めて、それでも足りないとなった時に上げられるのは学費だ。
現状維持のための値上げ。
税金をここまでしか交付出来ないと言われたら、自分たちの負担を増やすことは当たり前ではないか。納税者の負担で通わせていただいているのだから、文句を言うべきではない。
値上げ以外に方法は無いのではないか。

ホームページで言っているのは、ただの綺麗事だろう。説明が出来ないのは明らかにしたくないからだと思う。
他の国立大学では研究費が下りるが芸大は難しい。ipsの研究のために建物が出来るとか。私費ではないだろう。
俺が外部から得た資金が、他の科にも分配されたと聞く。興味がないから詳しくは知らない。
それくらい困窮している。
経営のことは経営者に任せる。

文科省からの藝大の評価が高いのは、教授たちが学生の評価に下駄を履かせているから。
芸術は科学などと違ってデータ化できない。評価を誤魔化せる。
技術を比べる入試は嫌いだ。
科なんてぶっ壊せば良いと思う。科の伝統も。
大石膏室の石膏像なんて、富国強兵の時の代物だ。その時代にはそれで良かったと思うが、ギリシャ人なんて俺は会ったこともないし関係ない。

国立大学は学生に優しくはない。もし学生で大学になにか求めるならば、個人ではだめだろう。
学生自治会を再建し、交渉しないといけないだろう。



------------私の意見--------------



教授会には興味がない。(興味がないといって、多様な視点のありように自ら限界を定めるのは、教授のアーティスト観に反するのではありませんか?)

下らないと思っている。(下らない状況を変えようともしないのであれば、体制にぶら下がっていることになるのではありませんか?)

基本的に報告を受ける場で、議論は出来ない。数えてはいないが美校では百名くらいが集まる。
そんな中で議論なんか出来ない。ただ賛否を問われることもあるため出席することもある。(ご存じないかと思いますが、他の教授会では値上げについて大反対が起こり、その成果も出たと聞きました。議論なんか出来ないと仰らず、やってみてはいかがでしょうか。)

大学の昔のことや詳しいことはわからない。
そもそも興味がない。
配られる資料にずらっと分からない数字が書かれているが目を通していないので覚えていない。
科の教授達での話し合いを提出する事はある。
こんなことは俺の仕事ではない。

学費の値上げにも興味がない。(あなたの給与の、学費の割合が多くなるとしても同じ事を仰りますか?納税者のためだけという姿勢でいいのでしょうか?)

年間たかだか10万円だ。社会人になれば単純に2か月で回収出来る。(払うときは学生です。学生が年間10万円多くどこからか捻出することになります。バイトでというなら、その分勉強が出来なくなります。そんな片手間で勉強出来るものだとお考えでしょうか?それに奨学金という名の借金を抱える学生もいます。簡単な計算で済ませられる問題ではないと思います。)

学生の負担率は3割程度だろ、大半は税金だ。税金で学ばせてもらっていることを深く受け止めるべき。(割合で判断出来る問題でしょうか?逆に、国の知を高めるのが使命だというのなら、人々は教育に投資するべきだ、とも言えませんか。勉強できる機会は十分とは言えないのに、投資してやっているのだなどという態度は取れるのでしょうか?それは、教授が学生に語れることでしょうか。)

学ばせてもらったことを世の中にどう還元出来るか考えるべき。
私大だと年間200万くらいだろ。私大なら自己負担だからお客様だが藝大は違う。(還元することは大切でしょう。当然ですが、誰も芸大を受けなければ大学は成り立ちません。ちなみに私大にも国から交付金は出ています。私大より安いとは言えど、藝大でも初年度は130万円くらい費用がかかります。)

国立大学に雇われているというのは、税金で食っている立場だ。
俺は学生の負担で食っているとは思っていない。(交付金だけで人件費の全てを賄えているのでしょうか。学費を増額して賄うのではありませんか?それに、学生がいなければ教授はこの職を失うのですから、間接的にでも、学生の負担でも食っているのではありませんか。その表現は乱暴ではないでしょうか。)

経営のことなんて俺は知らない。俺の仕事ではない。アーティストだ。教育者でもない。(知らない、興味がないといって切り捨てることの分だけ、限界は早く訪れるような気がします。私は、経営の視点を持てるアーティストや、教育者でもあるアーティストだって居て良いと思います。)

短期的な成果なんて求められない、100年後を見通した長期的な見方が大事。(ならば軽薄な発言を慎むべきでしょう。)

技術などは卒業してからでも身につけられる。好きなだけ石を彫れる。(そのような場所や、仕事をしながら出来る機会がどれだけあるというのでしょうか?アーティストはそんな片手間で出来るものだとでも仰りますか?確かに、教授は大学に行かずとも出来ました。しかしそれはご自身だけの力で得たものなのでしょうか。第一、それぞれの作家のことでさえ、興味がないと言って知りもしないのではありませんか?同じのことの繰り返しを、ただ同じで、意味がないなどと断ぜられる理由が分かりません。)

ただ制作をするだけではなく多角的なものの見方で、良い作品を作れるようになることが大事。(言葉はもっともらしいですね。)

心が大事。
空を見る時、ただ見ただけでは、ただの空だ。(そもそも教授は見ないことが多すぎるのではありませんか。)

例えばニュートンが、リンゴが落ちるのを見て思いつくとき、そこに疑問を持てるようになるだけのものがあったはずだ。
そういう、疑問を感じられるようになること。
ニュートンについて詳しくは知らない。
学生が大学にいる内や、社会に出て数年で成果が出せるとは思わないが、その種を学生に植えて、いつか国民に還元されること。(私は教授に種を植えたつもりです。教授は矛盾した考え方を持っています。口では勉強を大事だと言いながら、実は軽視しています。芸術のことも、軽視しているように見えます。)

人間を賢くすることが使命。
同じことを繰り返しても意味がない。学ぶことは変わることだ。諸行無常だ。(教授も変わるべきです。)

社会を変えるのはまず芸術からだと思う。それが経済を変えることに至る。(抽象的でよくわかりません。アーティストはなにも作品だけで世の中を変えるように努めなければならないとは思いません。言葉が良い表現方法だと思えば、言葉にするべきだと思います。)

バタフライ効果だ。
こうやって話していることにも給料が発生している。
俺がここに来ているのは学生のためでも大学のためでもない。納税者のためだ。
君の前にも後にも学生の面談をするが、作品についての話だ。

学生の本分は勉強だ。学費について事務局などに確認して動いている時間があったら勉強するべき。(これも勉強です。様々な知識を得られます。どういう表現が良いのか。どういう考え方で大学や社会は成り立っているのかを知ることが出来ます。それに、お金の話も出来ないで、作品を売れるでしょうか?)

良い作品を作れ。
卒業してからやる方が良いのではないか。(事務は、関係ない人とある人で区別します。卒業生よりは在学生、そして受験生を気にしています。しかし本当は世論だとは私は思います。世論に訴えるのに、学生であることは有効ではないでしょうか。さらに、教授はどういった立場の人間に対しても批判を封殺するような意見をもつのではないでしょうか。論点をはぐらかしているようにも見えます。学生だからこそ出来ることでもあると思います。)

それは納税者のなんのためになるのか。税金を無駄にするのか。受験生のためになるようでいても、もっと後の受験生からは恨まれるかもしれない。(社会を良くすることに寄与できます。逆に、不誠実な経営に異議を唱えることの不利益というのは、その方針を推し進めたい人か、その体制にぶら下がっている人にしかないと思います。受験生から恨まれるというのは、具体性に欠けます。)

もう決まっていることにあれこれ言ったってどうせ撤回も出来ないのだから無駄。(決めるまで公表しなかったのは無駄だと思わせるためでしょう。無駄だと思うことこそが無駄です。)

来年の入学生から値上がりするの?それを受験生は知っているはずだ。嫌なら受験を辞めればいい。(対象が誰かも知らなかったんですね。教授の分の資料代は無駄ですね。納税者から批判があった場合、どう釈明されますか。それに、これまで勉強し、進路決定などしてきた受験生が10月の末に突然突き付けられて、よくもまあ、辞めれば良いなどと言えますね。想像力の欠如ではありませんか。それに10万円程度だからたいしたことがない、それでも芸大は安いということを、大学は利用したのではありませんか?)

学生にしたって、嫌なら大学を辞めればいい。別に大学に来なくたってアーティストにはなれる。(教授は大学というもの自体を否定していますね。)

貧しい学生のためには免除制度もある。俺はそういう学生のための書類にサインをしている。

評価にも興味がない。俺はそんなものは付けない。学生自身にやらせる。
まず自分で評価出来るようになるべき。先生などの評価を気にしてもしょうがない。

藝大に来ることで予備校の先生や就職などに有利になっている。その分のメリットを負担率3割で得られるのは安いもんだ。(それまでの努力やコストを加味しても、本当に安いでしょうか?数年間の予備校生活とか。教授は入試のあり方に疑念をお持ちのようですが、今のところ受験生はそれに従わざるを得ません。それとも大学入試を改革されますか?)

それは国民のために還元すべき。
値上がりするということは、逆に納税者への責任が軽くなるということだろう。(いいえ、教授は興味ないからご存じないでしょうが、政府はむしろ国のために大学を統率しようとしています。学費無償化をぶら下げて、各大学を評価と予算分配によって競争原理に持ち込み従えようというのです。国は軽コストでより大きな成果、それも彼らが好むものを求めるでしょう。)

国立大学の教職員の給料は安い。私大よりはるかに。
大学は本当に赤字なのだと思う。間違いない。
バスの保険が払えなくて廃止になるとか、機材の修理に費用を申請しても一万円を超えるものは拒否される。
無駄をしているようには見えない。切り詰めて、それでも足りないとなった時に上げられるのは学費だ。
現状維持のための値上げ。
税金をここまでしか交付出来ないと言われたら、自分たちの負担を増やすことは当たり前ではないか。納税者の負担で通わせていただいているのだから、文句を言うべきではない。
値上げ以外に方法は無いのではないか。(税金の活用についてはまた別で考える必要があります。私個人的には、教育などに対する予算については、財源を問題視する声がどこからかあがるのに、戦闘機購入などの防衛費については全くお咎めない状況に疑念があります。教授は、経営者に任せておけば良いと考えているようですが、私はそうは思いません。何も全てをこちらが決定するという訳ではありませんが、無批判無関心で、トップに一任するのは、組織として危険だと思います。トップが決めた外部委員でさえ、組織の形骸化を防いでいるのか疑問です。私のような、完全に経営組織外の人間が発信することは、教授の仰るバタフライ効果を生むとは考えられませんか。)

ホームページで言っているのは、ただの綺麗事だろう。説明が出来ないのは明らかにしたくないからだと思う。
他の国立大学では研究費が下りるが芸大は難しい。ipsの研究のために建物が出来るとか。私費ではないだろう。
俺が外部から得た資金が、他の科にも分配されたと聞く。興味がないから詳しくは知らない。(無責任で、残念な人ですね。)
それくらい困窮している。
経営のことは経営者に任せる。

文科省からの藝大の評価が高いのは、教授たちが学生の評価に下駄を履かせているから。
芸術は科学などと違ってデータ化できない。評価を誤魔化せる。
技術を比べる入試は嫌いだ。(その考え方は一つ有りだとは思います。)
科なんてぶっ壊せば良いと思う。科の伝統も。
大石膏室の石膏像なんて、富国強兵の時の代物だ。その時代にはそれで良かったと思うが、ギリシャ人なんて俺は会ったこともないし関係ない。

国立大学は学生に優しくはない。もし学生で大学になにか求めるならば、個人ではだめだろう。
学生自治会を再建し、交渉しないといけないだろう。

以上です。

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