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自分の最期を決めるということ。

自分の最期を考えたことがあるだろうか。
とんでもないタイトルだと考える人もいるかもしれない。
最近話題なっている終活。もうちょっと歳を重ねてからやることだと思ってるかもしれない。

わたしも大学生の時はそう思っていた。救急で働くまでは。

救急で働き始めて3年。
色んな人の最期を看取ってきた。おじいちゃん、おばあちゃんだけではない。働き盛りの40代のお父さん、同世代くらいの若者。亡くなる理由も様々だった。もちろん元々持病があり自分の死期をわかっている人もいる。
しかしいきなり死に直面する人もいる。交通事故や突発的な病気などで。年齢に関わらず。
助かり後遺症は残りながらも、生活が送れるようになればいいのだが、現代の医療でもどうしようもない時もある。

そんなとき、私たち医療者は救命困難な時に家族に話すことがある。
「DNAR(do not resuscitation order)」について

DNRとは尊厳死の概念に相通じるもので,癌の末期,老衰,救命の可能性がない患者などで,本人または家族の希望で心肺蘇生法(CPR)をおこなわないこと」,「これに基づいて医師が指示する場合をDNR指示(do not resuscitation order)という。
そこに自分の意思がはっきりと入っている場合はDNARとなる。

最近の医療は進歩してきて今までは助けられなかった人たちも助かるようになっている。それはいい面でもあり、悪い面でもある。

自然に死を迎えられず、植物状態、脳死状態になり一生機械に繋げられて生きていくこともできるのだ。家族によってはそれでもいいから生きていて欲しいという人もいる。それも1つの選択肢である。

だが問題は本人の意思を確認できないということである。機械に繋げられている本人は意識もなく、自分のことを話すこともできない。若い人ほど家族や友人に、自分がもしそうなった時にどうして欲しいか考えてもないし、伝えてもない人ばかりである。

機械に繋がれたまま生きたいのか、それとも自然な形で最後を迎えるのがいいのか、呼吸器をつけるのか付けないのか。救急の場面では短期間で様々な命に関わることを、決めていかないといけない。家族や、パートナーにとって、いきなり命が危ないと連絡を受けどうしますかと言われても判断できかねる場合も多い。

だからこそ年齢に関係なく、自分がもし倒れた時どうしたて欲しいのかを日頃から考えておくことは必要である。

コロナ禍のなか以前よりもそのような話を家族、友人、パートナーと話しやすくなったのではないだろうか。
1度でもいいから話題にしてみて欲しいというのが、救急で働く看護師として思っていることである。

ちなみに例を出すと、私は無理な延命治療はして欲しくない。呼吸器が外れない、機械がないと生きていけないのだあれば心肺蘇生拒否「DNAR」を望む。
人生は自分のものなのだから、自分のもしもの時も考えておこう。

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