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高校生発 ロールモデルをみつけよう!#21 「MIMORONE」代表 島抜里美さん

                        取材日 2024年4月2日
                        編集著 猪狩ひより

今回私たちが取材したのは、南相馬市小高区で2016年にMIMORONEを立ち上げ、養蚕、紡いだ糸から布づくり、さらにアクセサリーづくりまでを行う島抜里美さんです。
「MIMORONE」とは、神様が見守る場所である「みもろ」と機織りや蚕が桑を食べる「音」にちなんでつけられた名前です。小高の素材にこだわりながら伝統産業を伝承していきたいという島抜さんの熱い思いにふれることができました。

小高の人々・絹との出会い

浪江町出身の島抜さんは、南相馬市内の高校に進学しました。高校時代はマンガやゲームなど興味を持ったものに夢中になってしまう、いわゆるオタク気質が芽生えていた島抜さん。高校卒業後は自分の好きな道をと、デザイン系の学校に進学を考えましたが、家庭の事情から進学は叶わず、進みたい道を決められないまま高校を卒業しました。卒業時期が就職氷河期と重なります。自分のやりたいことを模索しつつ、フリーランスの仕事をしていた島抜さんは、震災直前の2011年2月、結婚を機に小高にやってきました。
結婚し、小高に住み始めた1ヶ月後に東日本大震災・原子力発電所の事故で出された避難指示のため、避難生活を余儀なくされ、気持ちが落ち着かない生活を送っていた島抜さんが機織りに興味を持ったのは、小高で開催された秋祭りで知った機織り体験がきっかけでした。震災後、幼い子供たちを連れて南相馬市原町区に移っていた島抜さん。毎日子供たちの面倒を見ていくなかで、気づけば家にこもりがちな日々が続いています。そんな時、日中の避難指示が解除された小高で「秋祭り」があることを知り、行ってみることに。この時の小高秋祭り「浮船の里」ブースで毎週木曜日の機織り体験に誘われたことがきっかけとなり、島抜さんはその楽しさにすっかりはまります。子どもを連れ、毎週機織りに小高へ通うようになった島抜さん。機を織っている間はいつも「浮船の里」の方がお子さんのお世話を引き受けてくれました。そんな心が休まる温かくそしてありがたい縁が繋がり、島抜さんは「浮船の里」の一員になります。 
この「浮船の里」では、毎月の月末の土曜日に震災の後、避難指示が出され仮設住宅に住んでいる小高の住民の方たちが集まり、これからの地域に向けた話し合いの場「いもこじ会」を開いていました。その話し合いの中で「機織りをやってみたい」という意見が出たことが始まりです。この意見が出たことで島抜さんとのご縁ができたのですね。機織り活動を始めると同時に、「せっかくだから糸からつくってみよう!」と養蚕から布づくりまでの活動が広がりました。これからの地域を考える話し合いとコミュニティが創られていくなかで始まった当時の前に向かうエネルギーを思い出し、嬉しそうに笑顔になりながら話す島抜さんです。

養蚕から絹糸ができるまで
南相馬市小高区は明治時代から養蚕業が盛んに行われていた地域でした。日本の伝統的な高級絹織物の一種である、軽目羽二重が多く作られていたことが有名です。軽目羽二重とは、薄手でなめらかで光沢感があるのが特徴で、着物の裏地にも用いられています。
そして、それらの絹織物のもととなる蚕を育て、織物にするまでには様々な工程が存在します。まず、蚕によって繭(まゆ)が作られます。この時、良質な繭を作るために餌である桑の質や量にも気をつけることで丈夫な蚕を育てていきます。蚕が繭になると繭から生糸を繰る作業があります。繭をお湯で煮て繊維を引き出すことで長い糸にしていきます。機械で行うことが一般的ですが島抜さんは糸に負担をかけないように手作業で行います。糸への負担まで考えている島抜さんです。この生糸は琴の弦にも用いられていることも教えてもらい、とても驚きました。さて、いよいよこの生糸をアルカリ性の液体で処理をします。すると絹糸(シルク)が出来上がるのです。つまり、このたった一つの作業で硬い感触だった生糸が、光沢と滑らかさを合わせ持つ美しい絹糸になるのです。最後に、この絹糸を織り合わせることで布が出来上がります。「織物を売るときは小さな傷も商品の価値を下げてしまう」と、島抜さんが話していたのを聞いて、私が想像していたよりも繊細でどの工程にも集中力が不可欠であることを実感しました。

島抜さん流 魅了された糸作りとの向き合い方

小高でこれまで経験したことのない養蚕に挑戦することを決めた島抜さん。その原動力となったのは、初めて糸作りを教わった時に味わった感動と面白さでした。その後も養蚕や糸作り、機織りを突き詰めていき、自身のこだわりも形作られていきます。何事にも好奇心旺盛な島抜さんだからこそ、初めての体験にもチャレンジ精神で挑み、継続できているのだと感じました。そんな島抜さんの人柄は、現在の作品作り、そして糸作りや機織りとの向き合い方にも生きています。
「”自分がやりたい”という思いを何より大切にしています」と話す島抜さん。「小高という地域のために」という想いをスタート地点とするのではなく、「自分がやりたいこと」から始まり、その結果が地域や人々の役に立てば嬉しいと考えていることが言葉の端々から伝わります。島抜さんたちが心から作りたいと思えるものを商品にすることで、作品やシルクそのものの魅力が伝わり、MIMORONEの商品に惹かれるお客さんが多くいるのだと思います。家庭を持つ島抜さんは、MIMORONEでの活動をあくまでも趣味として捉えています。家庭を中心に考えながら、無理をせずに自分ができることを確実にやり遂げるスタンスの在り方も、島抜さん自身の活動を支えているのだと感じました。

命を紡ぐ重さ 

 糸作りの過程を誰よりも近くで見てきた島抜さんは、その糸がもつ本質的な価値を一番理解している人でもあります。そんな島抜さんは絹糸のことを「お蚕さまの命そのもの」とおっしゃっていました。お蚕さまの命を少しも無駄にしないため、島抜さんの作る作品の中には別の作品を作る工程で出てくる布の端切れなどを無駄にせずに上手に活用している作品もたくさんあります。また、糸作りを始めた頃の商品にならない糸も記録して全て残しているファイルを見せていただきました。お蚕さまの命そのものである糸を何よりも大事にする島抜さんの考え方と作品作りへの向き合い方に、古来から日本で大事にされてきた「もったいない精神」を感じました。物の経済的価値を重視しがちな現代社会ですが、絹糸と蚕に限らず、物に対する感謝の気持ちを持つことと、「モノ」を大事に使うこと、という当たり前のことをもう一度見直すべきなのではないかと感じました。


そこに込められた思いとは   

被災地の「お土産」ではなく「特産品」として購入していただきたいという思いが込められた島抜さんの作品は、なんと染料まで小高産の素材のみで制作されています。また、養蚕から糸繰、機織りまですべてが手作業であり、表情豊かな絹糸から生まれる作品の数々には自然豊かな小高の魅力があふれています。そんなこだわりが詰まった島抜さんの作品は、年齢を問わず幅広い年齢の方々に愛されており、シルクの持つ魅力に心を奪われる方が多いそうです。モノが持つ経済的価値以上に、そのモノの持つ”本当の良さ”を大切にしたいと語る島抜さん。その思いは作品を通して様々な人に伝わっている様子であり、島抜さんご自身が「シルクの本当の良さに気づいて大切に扱ってくださる方が多いんです。」とにこやかに語られました。確かな信念を持って作品制作に臨む島抜さんの姿に、私たちは感銘を受けると同時に、モノの奥深くにある価値に気づき、大切にしていきたいと強く感じました。


伝統を紡ぎ、次へと織る

今の時代では、養蚕から糸作りを行う人や糸づくり自体を知っている人が少なくなっているからこそ、島抜さんは「この滅びゆく産業を伝承したい」という思いを強くしています。繭の煮方、糸の作り方など後世に残すための記録を丁寧にまとめている資料を拝見しましたが、その丁寧な仕事に脱帽です。また、小中学校に蚕を置かせてもらい子供たちが繭と触れ合う機会を多くしたり、博物館に機織り機を置かせてもらい、どんなふうに布を作るのかを実際に体験してもらうなど養蚕や糸作りの知識・技術そして地元産業としての歴史を、知ってもらい広げて行く活動を積極的に行う島抜さん。
養蚕からアクセサリー作りまでを行うことから始まった島抜さんですが、実際に養蚕をしていた方のお話を積極的に聞き出したり、養蚕が盛んだった小高の歴史を調べるなど、いろいろな養蚕について知識を身をもって体験していきます。
だからこそ、「研究しないと消えてしまう」という危機意識を持ち「知識が増えることが受け継ぐことにつながる」と考えて活動しているのだと思います。蚕から糸がつくられるまで、たくさんの工程があり、たくさんの技術や知識が必要となる。だからこそ、教わる時にたくさんの人と歴史の出会いが生まれるのだと思います。昔は各家庭で養蚕が行われていたけれども、今では触れ合うことも知る機会も少なくなってきた産業。これからの養蚕と言う産業の未来を島抜さんが切り開いていくのだと思いました。


高校生へのメッセージ

「自分を満たすことからの一歩」
「自分ができることや、やりたいことを探す前に、自分の土台となる家族や自分を大事にして環境を整えてから自分の道を探してほしい。」と島抜さんは言います。島抜さんは、家族を大事にしながら、養蚕や機織りの仕事を続けてきました。今こうして自分の好きなことができているのは家族の理解があってこそだと言います。私たちは迷ったり悩んだりした時に、つい焦って闇雲に行動してしまいがちです。しかし、辛く、先が見えない時こそまずは1回立ち止まってから目の前のことを見つめ、毎日当たり前の日常があって、いつも応援してくれている家族に感謝することが大事なのだと気づきました。

「目先のことにとらわれない」
やりたいことをとことん突き詰めていった島抜さんは、「特別なことはしなくていい。」と言います。「震災の影響を受けた地域のことを背負って、誰かのためにやるのではなく、確実に自分のやりたいことをまっすぐにやってほしい。何事も粘り強く、マイペースにやることが大切。」とおっしゃっていました。新しいことに挑戦する時、私はついためらってしまうのですが、自分がやりたいことに一生懸命向き合っていきたいと感じた言葉でした。自分の気持ちに正直になって、楽しみながら様々な作品を作っている島抜さん。「せっかくやるのなら、確実に、一歩一歩ね。」その言葉は私たちの背中をやさしく押してくれました。


編集後記

小高の伝統産業の一つである、養蚕・機織りを伝えていくためにも、楽しみながら活動していくこと、無理をせずに続けていくことの大切さを教えていただきました。
島抜さん、本当にありがとうございました。

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