どうして私が理科大に?

おだみんです。要望が多かったので、受験体験記を書くことにしました。稚拙かつ大して面白くない文章しか書けませんが、事実と思ったことを正直に書いておきます。

ノリと勢いで、要望いただいてから数時間で5000字近く書いてて草


1.中学までの話

ここは読み飛ばしてください、隙自語です。

1.1 身長足りないし転身するcar

爆誕後、幼少期から親は教育熱心だったと思う。2歳から英会話を、3歳から新体操を習っていた。他にも空手やそろばん、書道、バレエなど習い事をたくさんしてた。この中で一番一生懸命続けたのは新体操だった。クラブ内の選抜を通過して全国大会に出たり、小学4年生の時には日本オリンピック協会の強化選手試験も受けた。しかし、身長足りねぇ!!足短い!!!他にも色々原因はあっただろうが試験には落ちた。

当時のワイ : 宇宙飛行士になりたい!新体操やめて中学受験する!!

ここからは宇宙をメインに人生を送ることになりました。

1.2 いつ宇宙が好きになったか

父は宇宙が好きだ。完全にその影響である。
夏休みの自由研究で毎年何かしら科学に関することをやろうと父に誘われた。
小学1年生の時は、ソーラーパネルで動く扇風機を霧吹きに搭載して涼しそうなアイテムを出品した。小学2年生から毎年論文を書き始め、小学3年生の時、小惑星探査機はやぶさと出会った。
詳しい話になるのでここは読み飛ばしてもらって構わない。
リアクションホイールに惚れて自律航法や姿勢制御システムに興味を持った。これ以来大学2年生になろうとしている今もこれらの開発に携わりたいという思いは変わっていない。

以下に、当時の論文のテーマを記した。

2年生 太陽系
3年生 小惑星探査機はやぶさ
4年生 ISS
5年生 宇宙での生活について

小学5年生のテーマがしょぼいのは、中学受験の勉強との両立を試みた結果である。あと、この時プリンター壊れて写真印刷できなくて泣いた。大事な時期に限って、プリンターは壊れます。(1回目)

1.3 中学受験

夢も目的も定まっていたので中学受験はひたすら勉強して、2校受けて両方受かった。家から通いやすいこと、高校受験がいらないこと、科学教育設備が良いこと、チアダンスができることから母校を選んだ。ってことにしてる。実は、2校目の合格発表見る前になんか満足して制服買っちゃったんだよね。計画性のなさは今と変わらん

1.4 中学1,2年生

普通に勉強してそこそこ良い成績とってた。チアダンス部の活動が週5とか6とか、全国大会に進むのに必死で勉強と両立しつつって感じだった。中学1,2年生は特に何もしないまま過ぎていった。中学3年生の時、たまたま見かけた広告をきっかけに水ロケット大会に出たら日本代表になっちゃって修学旅行の前日までシンガポールで国際大会に出てた。水ロケットの開発をしながら改めて機械、制御系に進みたい!!宇宙好きだぁ!!になってた。

水ロケットで国際大会に出たことをきっかけに、母校の宇宙教育はぐんと進んだ。水ロケット大会に引率してくれた先生へ。2度とない機会を与えてくれてありがとうございました。そして何より、課外科目として水ロケットを設定して技術継承をしてくださってることに非常に感謝です。私の熱い思いを受け止めてくれて本当に嬉しいです。有志でCanSatをやる人も出てきたらしい。少しかもしれないけど、高校に貢献できた気がして嬉しい。


2 志望校決定

ここからが本番です、受験の話。
最初に申しておきますが、大学受験でこういう勉強をした方が良いとか、自分はこうしたとかそういうことを言うつもりは全くありません。勉強してない。

2.1 理科大はいいぞ

高校1年生の時、理科大の宇宙教育プログラムに参加した。宇宙開発の経歴とISS内で行う実験の提案書、先生との口頭試問の結果合格した。開講された6月から次年3月まで理科大に最低月2、実験前は連日通った。前期はCanSat、後期は微小重力実験。この時は本当に楽しかった。ものづくりがくっっっっそ楽しかった。当時高校1年生だった私から見て、ものづくりをしている大学生の先輩方の背中が死ぬほどかっこよく見えてた。そうなりたかった。今もずっと憧れてる。また、理科大生として、今度はこのプログラムの運営側になりたいとも思った。
あと、話が少し飛ぶが、宇宙教育プログラムの同期から宇宙教育を行う会社が立ち上がり、私の高校に出張講義を開始した。大学生になってこの会社で働いて、母校に貢献したいと思うようになった。
この時点で理科大にしか行く気なかった、って言い張りたい。しかし、、、


3. 東大推薦


3.1 東大推薦の話~書類審査まで~

精力的に活動している私を見て、先生方は東大の推薦入試をすすめてくださった。推薦入試に出さないかと最初に声をかけられたのは中3だ。別に推薦に出そうが出さまいが、宇宙開発はしただろうしやりたい研究はしたとは思うけど。
理科大に行きたかった。一方で自分のしてきたことを認めてもらえるのが嬉しくて、裏切りたくない気持ちも大きかった。この揺らぎを打ち明けることなくちゃらんぽらんな感じで受験期に突入する。これがおそらく受験の一番の敗因。モチベーションが定まらなかった。

高校1年生から高校3年生までの間に、4つの研究をした。宇宙工学系で2個、天文系で1個、これらはいずれもイベントに参加して行った共同研究。あともう一つは単純興味で、アスペクト比と人種の関係を統計学的に考察したよみたいななんとも言えない研究。それと留学証明、英語の試験の点数などの書類をまとめて東大推薦に提出した。書類審査は通った。正直これは落ちると思ってなかった、受験期に自分の研究を見つめ直して60枚の論文書いたんだから。#それはそう みたいな感じ。


3.2 東大推薦二次試験

2次試験は自分の研究に関する口頭試問だ。先生5人を前に50分間、自分の研究と今後の生き方、学問の深め方について聞かれた。面接は死ぬほど楽しかった。だって、憧れの某先生に、自分たちが開発したCanSatを見てもらえるんだぜ!!!正直その時間尊過ぎてしばらく舞い上がってた。
「どうしたら成功したと思いますか?」という質問が実に良い質問だなと感心していた記憶がある。当時の私へ、どこ目線だよ💢それはさておき敗因分析をしてるか聞くことで、プロジェクトへの積極性、専門知識の有無など色々な要素がわかる。なるほどね〜って思ってた。
正直、推しが自分に興味持ってくれて、対話できたクソデカ感情を持ち帰ってニコニコしてた記憶しかない。落ちたけど。


4. 高校生活と大学受験

東大推薦に落ちた原因は間違いなく学力不足。だって共通テストカスだったし。ここからは言い訳コーナーです。


4.1 学力はどこですか

なかった。だって勉強してないもん。
高1までは順調だった。コロナが流行って以来、鬱っぽくなって高校通えなかったり、定期試験も受けられなかったり、色々ありました。布団から起き上がれねぇヨォみたいな時期もあって勉強できる体じゃなくなってた。復帰した頃には高校の授業は受験範囲を終えていて演習だった。詰み。周りは東大志望しかいなかったし(東大志望のコースに所属してた)、精神的にすごい追い詰められた結果あんまり勉強しなかった。同調圧力に負けてたのかわからないが、第一志望の理科大理工機械科は志望校判定に一度も書けなかった。第一志望の判定がわからないまま受験終わったみたい。東大推薦は共通テストで主な学力が判定されるので、共通テスト対策はした。落ちたら浪人しよう、2次試験対策なしで受験に臨みました。ガチです。数3とかガン無視。知らない子。


4.2 共通テスト

共通テスト本番、しっかり大ゴケしました。あの共通テスト2年目のクソ難しかったやつ。この時点で内心来年頑張ろうってなってた。推薦はこの時点で落ちてる自信しかなかったし、2次試験は対策nullだった。
共通テストの思い出といえば、2つ。
1つ目は前日に自信を失いたくなかったのか、気が狂ったのか、前日になぜか地理の予想問題を3年分解いた。そしたら、プリンター壊れた!!!大事な時にプリンターは壊れます。次は多分卒論か修論の時と予想。
もう1つは、共通テスト終わってすぐに高校同期ツイッタラーで行ったカラオケ。そりゃ楽しいに決まってるだろ!!最高でした!

4.3 共通テストの点数

国語 132
英語 R89/L80
地理 71
1A 53
2B 47
物理 53
化学 38

これで理系ってマ?

4.4 基礎固めの2月

当時、親にはこんなこと言えなかったけど過去問は部屋のインテリアと化していて、実際は数3の基礎固めしてました。ごめんなさい。このまま私立入試に突入します。


4.5 出願

出願したのは
•国立推薦 東大
•国立前期 横国 理工学部 海洋空間のデザイン
•国立後期 電通大 三類
•私立滑り止め 工学院大工学部機械工学科
•理科大(方式)
理工学部機械工学科(A,B,C)←これが第一志望
理工学部電気電子情報工学科(A,B,C)
工学部機械工学科(B)
工学部電気工学科(B)
理学部第二部物理学科(A)

2次試験対策してないので受かるわけないんです。数3やってないんだぜ。結果として、ひよって国立は全ブッチ、私立滑り止めも未受験。結局のところ理科大以外に行きたくなかったみたい。わがまますぎます。反省してください。試験いかないなら出願すな!

出資してくれた親はなんと言ってたかと言えば、「仮に横国受かっても電通受かっても、理科大落ちたら浪人するでしょ?」
全て見抜かれてた。

4.6 私立大受験

1ミリも受かると思ってなくて、過去問はほぼ解きませんでした。来年頑張ろうと本気で思った。理科大も受けては落ちてを繰り返したし、落ちても #それはそう って感じてけろっとしてた。泣きもせず来年は向けて基礎固めしてました。A方式もB方式も全落ちして、最後に残された理工学部のC方式の試験日。葛飾の試験会場で過去問ではなくフォーカスコールドの数3を解いてるやついたらそれ私です!!!
数3なんもわからんだったので2月から来年度の入試に向けて勉強を始めてました。理工学部のC方式の日、会場の席で私は媒介変数表示を用いて楕円の面積を求める積分の問題をフォーカスゴールドで解いてました。へぇ〜こんな感じで解けるんだ〜になってた。
1時間後、試験問題でそれ出た!受かった理由、多分これだけ。

4.7 合格発表の日

正直、どの学科の試験よりも多少自信はあった。たまたま数学が易化しててほぼ満点だったのもあって運がよければなぁって3ミリくらい期待してた。

受かってた

第一志望だけ!なんか受かった!!親には「受かると思ってなかったわww」って言われて自分はしっかり頷いてた。某氏が私以上に泣いた状態で電話くれた。大好き。ありがとう。

理学部第二部での仮面浪人or他学科編入も考えてましたが、落ちました。そりゃ共通テストの化学38点で受かるわけないよな。数学は1A2B足して100点だし。本当に理系ですか??春から理科大ってマ???


5. 受験を振り返って

勉強すればよかった。大学入ってから、当時勉強してたらここで躓いてないんだろうなってところでわからないことが多くて後悔ばかりしてる。人より勉強してないどころか、体感だと数3波動電磁気未履修の状態で、そこそこの理系大学の学生になってしまった。大した努力もしないまま、だ。
この後悔やコンプレックスはしばらくずっと抱えることになると思う。払拭するには大学で勉強するしかない。

あと、コロナで沈んだ時も受験で苦しかった時も仲良くしてくれた高校同期へ。ありがとう。まじフッ軽すぎて好き。誰が共通テストの次の日にカラオケ行くねん。最高。ぜひこれからもよろしく。

母校へ
東大に推薦していただきありがとうございました。非常に良い経験になりました。一方で非常にプレッシャーだったのは事実。合格実績に貢献できなくて申し訳ない。これからも宇宙開発には携わり続けるしこれまで以上に大きな何か必ず高校へ持ち帰るので期待していてください。

何はともあれ今は、機会航空宇宙工学科に所属しながら、仕事として宇宙教育をし、宇宙工学系のサークルに所属してものづくりをしてます。小さい時から憧れてた宇宙に囲まれてクソ楽しい人生送ってます。生きててよかった。


6. 最後に

大学受験は勉強した方がいい。

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