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喋れなくとも幸せな成人男性、常識に揺さぶりをかける存在

人と比べたり、先のことを考えたり、いろんな情報が溢れかえっているこの世の中で

不安になろうと思えばいくらでも不安になれる

そんなときでも

弟は毎日同じ時間に起き、ごはんを食べ、風呂に入り、寝ます

それも、たくさんの彼独自のルールに従った生活で(飲み残しや食べ物の残りは見えないようにする、食事は他の家族が完食してから食べる、咳やくしゃみをしたらニコと言わなければならない等)

↑一つ一つに彼なりのおもしろい理由があり、私はすごく納得できます笑

20年前から同じDVD(主におかあさんといっしょ)を見て、お気に入りのフレーズをエンドレスでリピートしています

よちよち歩きのときに食べていた、米をのりで挟んだものを、毎食5個必ず食べています

こんな弟の姿を見ていると
自分がクヨクヨしていたことが、なんだかとってもちっぽけに思えてくる

お風呂には介助が必要で、髭剃りも自分ではできないけれど

他人を傷つけることもなく、自分が心地良いように生きている

100枚以上のおかあさんといっしょ系統のDVDを持っている24才

硬直型の麻痺があるのに、ディスクを探す手つきが異様に器用な24才

同い年でこんな生き方をしている人が身近にいると、「あっ、どんな生き方でもいいんだった」と目を覚まされます

まるでその生き様から"普通って何?"と"あなたにとっての幸せは何?"と問われているよう…

振り子の片側で戻れなくなりそうな私を、また揺らぎに引き戻してくれる

自分が決めた常識という狭苦しい枠に気づけるというか…

そんな力を彼は持っています

ただ10代の頃は私自身、常識(多数派)に従って生きることがすごく安心で

それに従うことができなくなってからは、すごく不安定な時期もあった

苦しくなって葛藤して、悩んで調べて読んで聞いて…ようやく常識を手放せるようになってきた今

常識にとらわれない(とらわれることができない状態)弟の姿は、励みになっている

きれいごとが言いたいわけでもないし、知能が低いからという事実もあり、弟のような人々の存在意義に悩んだ時期もあったけれど

なんか彼らは、世の中の常識や固定概念を揺さぶるという役割を持って生まれてきたんじゃないのかなあ

と、感じる瞬間が多々あります

知能が低い故の幼さと正直さを持ちつつ、その知能を補うためなのか鋭い第六感みたいなものを持っていたり

妙に達観して精神的に大人びていると感じる一面もあったり

目に見える世界を超越した諸々…(この話については語りたいことがたくさんあるのでまた追々)

愛らしくて不思議で、ちょっぴりそこそこ面倒な存在です

今日はこのへんで


あす香


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