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生きづらさを抱える子と過去の私へ

先月、京都芸術大学 通信教育課程 洋画コースを無事に卒業しました。
4月からはもう学生じゃなくて、社会人。アルバイトをしながら公募展や展示に向けて日々制作をしています。

卒業制作展ではコース奨励賞を受賞しました。先生が推薦してくださり、大学のwebマガジンにインタビューが掲載されています。
卒業制作の背景をメインに、入学の経緯、通信制芸大での学びなどをお話ししております↓


インタビューでもちらっと語っているように、私は17歳のときに心身のバランスを崩して不登校になり、通信制の高校に転校して何とか卒業しました。卒業後もうつ症状や対人不安など体調の波があり、外に出て継続的に人と関わることが難しい日々を過ごしていました。

当時は冗談抜きで自分の人生に絶望しかなくて…「このままずっと独りぼっちのまま死んでいくんだ」と思っていました。ただ心のどこかでは、自分自身が変わらなきゃいけないということに気づいていました。(ようやく向き合えるときが来たという感覚)

もどかしさを抱えながら、行きつ戻りつしながら、家族や医療の支援を受けながら、”絵”という自分の好きなものを通して人との関わりを取り戻すことができたように思います。

スクーリング当初は毎朝吐きそうなくらい緊張していて、先生とのやり取りにもYESかNOしか返せなくて、当然クラスメイトとの会話もなく、学食の人の多さに圧倒され、刺激の多さにキャパオーバーして疲弊しておりました。(実は卒制のF100キャンバスが家に届いたとき、あまりの大きさに自信を失って1人で泣いてた…笑)
そんな私でも本当に少ーしずつ交流できるようになり、信頼できる仲間ができました。

幼い頃から抱えている生きづらさと、未来への希望と、いろいろなことへの諦めと、寂しさと、大事な人への愛情と、人との出会いへの感動と…
そういう良いも悪いも混ざったいろんな感情たちを、全部一緒に抱えながら日々生きているような感覚になった。よくある言い方で言うと、これが”大人になる”っていうことなのかな。

今も過去の私みたいに、生きづらさを抱えている子が本当にたくさんいると思う。そういう子たちに私が何をできるかっていったら、やっぱり絵で何かを届けること。
そんなことを言いながらも、一番は過去の自分に向けてずっと描いている気がするのだけどね。

こうやってnoteに文章を書くことで届くことがあるかもしれない。跳び箱が跳べない人の代わりに跳んであげることはできないけど、踏切版ぐらいの手助けはできるんじゃないかな。

大丈夫だよ、っていう言葉は無責任さを感じるのであまり使いたくないのだけれど、
人生に絶望して死にたいぐらいしんどくて家にこもっていた私でも、昔よりは楽になれたよ。信頼できる人に出会えたよ。こんな大人がいるよってことが、どこかの誰かに伝わったらいいな。


すが あす香

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