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電撃大賞一次についてのあれこれ

電撃大賞一次選考が発表された

若干乗り遅れぎみかもしれないが、先日(7月10日)電撃大賞という小説のコンテストの一次選考結果の発表日であった。
注目度も規模も応募作品もすごいこのコンテストにおいて、今回の一次選考で衝撃的なことが起こったことはみなさんもご存じだろう。
ご存じでない方にざっくりと説明すると「一次選考でめっちゃ落とされた」ということだ。

さて、ここでは選考結果発表日にフォロワーのりつりんさんが開かれていたスペースで私が語ったことをまとめるような形で今回の電撃大賞の個人的な感想をお話しすることにしよう。

まるで鉛筆や鰹節のように

今回の通過率に関しては様々な方が言及されているのでざっくりと言うが、例年一次選考の通過率は約10%前後だったところが、今回は4%ちょっとという削られっぷりだったのだ。
これは例年における二次選考通過ほどの割合で、どれだけ今回の絞り方が衝撃的だったのかが分かっていただけるかと思う。
というか、長年電撃大賞に応募されている方のほうが衝撃は大きかったのではないかと想像する。

「どうせ受賞するかしないかなんだから一次で落ちようが二次で落ちようが同じだろ」

そんなことを言っている人も目にしたが、本当にそうだろうか。

まず、電撃大賞において一次選考を通過することの大きな意味として「選評がもらえる」というものがある。
受賞したいという気持ちはもちろんあるが、これを目標に応募されている方も少なからずいるのではないかと思う。
また、一次選考で落とされてしまうと「規約違反で落とされた」のか「内容で落とされた」のかが全く分からないのである。

これは特に初応募の方などは不安な点だと思う。
事実、私もそうだった。

これが一次を通過するか落選するかの大きなポイントだ。
他の賞に使いまわししようにも、何を直せばいいのか、そもそも規約違反なのか分からない。
だからこそ、一次通過というのは価値があるものなのだ。

つまらないパチンコ台はすぐに客が飛ぶぞ

しかし、今回は誰もが予想だにしない通過率となり、界隈は阿鼻叫喚に包まれた。

私はりつりんさんのスペースでこれを「パチンコ台」に例えて話した。

【CR 電撃大賞】だ。
※もうCR機はないぞ、とか、公募をギャンブルに例えるな、みたいなクレームは受け付けますが聞き入れません。

ギャンブルは、たまに当たるからこそ「またやろう」という気持ちが生まれるのだ。
全く当たる気がしないギャンブルなんてはなからやろうとは思わないだろう。

そういうことが次回以降の電撃大賞では起こりうる可能性があるのだ。

一次選考で落選するというのは、いわばスーパーリーチすら見せてもらえない状況だ。
緑保留ですらスーパーリーチに発展すれば「お?ワンチャン?」と期待することもあるが、一次で落選した私たちはそんな気持ちすら味わえずに肩を落としてホールを後にすることになる。

数カ月かけて貯めた一万円(一作)を握りしめ、期待を込めて入金した結果、スーパーリーチすら見れずに終了。
人によっては数万円(複数作)突っ込んでこれだ。

クソ台じゃん。

「一次通過するような作品を書いてから文句言えよ」
と思う人もいるだろうが、問題は例年以上にその確率が高かったということだ。

この結果を受けて「来年からは電撃に応募するのやめようかな」という書き込みも散見された。
仕方のないことだろう。
演出のつまらないクソ台は客が飛ぶのも早いのだ。※あくまでパチンコの場合は、ですが。

期待感があるからこそ応募する、というのは応募者の心理としては大いにありえると思う。
その期待とは受賞だけでなく、選考通過の喜び、選評をもらえるという期待もあるはずだ。
それが、今回ここまで一次選考を厳しくされたため、来年以降も同じ状況なのではないかと思ってしまうのも無理はない。

一次通過率が三割程度あるコンテストや、応募者全員に選評をくれるコンテストなどもあるなかで一次選考を絞るという判断をした電撃大賞。
一部ではコストカットや人件費の削減などが噂されているが、そんなこと応募者にとっては知ったことじゃないだろう。

下読みに胃薬を

もう一つの問題は、一次選考で落ちる作品が増えると、必ず取りこぼしも増えるということだ。

一次選考では、基本的に「下読み」と呼ばれる方が応募作を絞るというのが通説だ。
この下読みさんは新人作家さんやライターさん、批評家さんその他文章を読むことに長けた人が担っているとのことなので作品の良し悪しというものはある程度分かる前提で話を進める。

例年通りの通過率であれば「20作中だいたい2作通過させてください」という注文が、今年は「21作中1作だけ通過させてください」くらいの注文になる。

私も過去にアマチュアの小説コンテストの運営側に携わらせてもらったことがある。
コンテストという性質上、順位をつける必要があるのだが、ここには必ずボーダーライン上の作品が出てきてしまう。

しかもその要素を分解したとき、こっちの作品は「ストーリー」が4で「キャラクター」は2、あっちの作品は「キャラクター」が5だけど「文章力」は1といったようなバラつきが出てくる。
※あくまで一例です。

こんなとき、2作通過させて良いのであれば対照的なその二つの作品を両方通過させることもできるのだが、通過率を絞れという注文がされているのであればどちらかは必ず落とさないといけない。

このプレッシャーたるやいなや。
下読みさんの胃袋はギャルのジーンズよりボロボロになっていることだろう。

それに、どうやったって人の好みというものは出てしまうものだ。一人の人間が通過作を選ぶ以上これは仕方がない。

つまり何が言いたいかというと、一次選考の通過率を絞るのは相当な悪手ではないかということだ。

これは何も自分が落ちたから「電撃憎し」で言っているのではない。
むしろ電撃大賞というコンテストが大好きだからこそ言っているのだ。

今年の結果や、来年の選考がどうなるかは分からないが、来年の今頃も応募者たちが「祭りだ!祭りだ!」と盛り上がれるようなコンテストであって欲しいと願うばかりだったとさ。


めでたしめでたし。

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