私が自分になった訳

性自認は流動的なものだ、と誰かがツイートしていたのを見た。
確かにそうかもしれない、かつての自分は「私」だったし、今でもそれは残っている。けど今は「自分」と呼ぶのが一番落ちつく、というか、違和感がない。「僕」とか「俺」とかを使いたい時もある。英語なら全部「I」だけど、日本語の一人称に種類が沢山あるのは、自分みたいな人間にはありがたい。

自分はノンバイナリー寄りのQuestioningだ。

寄り、という表現は、確定とは思えないから。女ではいたくないし、男ともいえない。どちらでも無いと言いたいが、二十余年、女の肉体で暮らしてきているせいか、女の要素が拭いきれない。じゃあ女寄りとすればいいじゃないか、とも思うが、そう自認すると尚のこと女から抜け出せない気がして止めた。


どちらの要素が勝つかは、その時の気分次第だ。例えるなら、イカとかタコの体表面みたいな。色が点滅して、出たり消えたりする。暗くなったり、明るくなったりする。腕の先だけ色が変わったりとかも。
自分が好きだと思う要素を自由に出して、またたくことができたら、きっと幸せだと思う。


昔は自分のことを女だと思っていた。トランスではなかったので、生まれた体の性の通りに女としてしばらく生きた。

一番最初の違和感は小学校6年生の時。
周りの女の子たちが浮き足立つ時期があったが、正直感覚が全然分からなかった。クラスの好きな人の話とか、好きな男性芸能人の話とか。
思い返すと、この頃から男性に惹かれなかったのだろう。だからといって、自分が男だとは思わなかった。単に、自分が遅れているんだろう、と思っていた。


中高は女子校に進学した。母が女子校出身で、私学に進学させた。女子校出身者は自分の娘を女子校に入れたがる、なんて話を聞いたことがあるが、それは本当だと思う。なにせ、自由だから。
中高時代が一番幸せだった。抑圧や不平等がなかったからだ。良い友人に恵まれたし、初恋の人とも出会った。この恋の話は、いずれする。


大学は共学だったが、身の回りには女子校出身者がやたら多かった。スタンド使いが如く、女子校出身者は引かれ合うのだろうか?
この時の自分は、初恋の彼女にずぶずぶだった。レズビアンという自覚はあまりなかった。女が好き、と言うより、彼女が好きだった。

そして、女として生きる生きづらさを最初に感じたのもこの時期だ。
まずは、アルバイト先。ここの男性達は女の自分を対等に見てくれなかった。「女だから」遅くまで残らせて貰えなかったし(これは彼らのせいとは言えないが)、「女だから」肉体労働も回ってこなかった。「女だから」小学生の相手をしたし、「女だから」ポスターを作った。女の自分は、仲間はずれだった。

旅行が趣味だったから、「深夜特急」を読んだ。けれど、この本みたいな旅行は、男性の方がしやすいんだろうとぼんやり思った。一人で途上国の格安ドミトリーに泊まるのは、女でも出来るのかもしれないが、「女だから」危険だ。
この頃から、「自分が女でなければよかったのに」と思い始めていた。


社会人になってから、生きづらさを殊更感じるようになっていた。
同期は、マジョリティのど真ん中を歩いて行けるような人達だった。素行の悪いことはおおよそ積み重ねてきたような風だったが、悪い人達ではなかった。楽しい経験もあった。けれど、会話する度に、やすりで削られているような気分だった。彼らに悪気なんてさらさらなく、無自覚というのもしんどかった。

一番辛かったのは、好きなタイプがどんな人かを聞かれることだった。正直に言うことが出来ないから都度曖昧に返すが、これがとにかく精神のリソースを割いた。世の多くの人にとって、自分を偽って当たり障りのない返事を繕って考える機会は、頻度が少なかったり、環境を変えることで解決したりするのだろうが、自分の場合はそれが常だった。冷静に考えたら、常に偽の自分を演じ続けるというのは、むちゃくちゃに大変なことなんじゃないだろうか。この辛さを誰かに吐露できれば、根本的解決では無いものの対症療法としては良かったのだろうが、自分にはそういう存在はいなかった。彼女と疎遠になって数年経っていた。

私が自分になったきっかけは、社会で生きづらかったから、かもしれない。女扱いされなければ、自分らしく居られた。そういう機会が、多かった。

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