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奥州藤原氏のセンスやば!中尊寺金色堂展みどころレビュー

先週1月23日から東京国立博物館・本館で始まった、
中尊寺金色堂展に行ってきましたので、みどころを紹介します!


永遠の極楽を求めて

岩手県・平泉にある中尊寺は、850年に開かれ、
その後12世紀に奥州藤原氏初代清衡公により大規模な造営がなされました。

その目的は、
11世紀後半に東北地方で続いた戦乱で亡くなった人々を
敵味方関係なく慰め、
「中央政権に抵抗し続けた人々が住む場所=みちのく」
と蔑まれていた東北地方に、

仏の教えによる平和な理想の社会を作る、ことが目的でした。

自身も骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意であったそうです。

中尊寺金色堂展は、
そんな、清衡公の想いをしたためた
「中尊寺建立供養願文」の展示から始まります。

洗練された美しさと豪華さに驚く

展覧会は撮影禁止なので、ご紹介できませんが

堂内中央の須弥壇、つまり清衡公の壇とされている部分に安置された
国宝の仏像11体と、
堂内の荘厳具(しょうごんぐ)は目を見張るうつくしさ!
金や螺鈿がふんだんに使われ、
とても洗練された気品がただよってました。

仏像へのライトアップも完璧で、
360度、好きな角度からチェックできます!
これぞ、博物館の醍醐味!

会場の大きなスクリーンに投影された8Kの高精細動画は、
金色堂内部を隅々まで見れ、没入感にひたれます。

特に、まりぞうが心を奪われたのは、
藍染の和紙に金泥で描かれた

金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図です
(こんこうみょうさいしょうおうきょうきんじほうとうまんだらず)

遠目から見ると10重の塔の絵なのですが、
近寄ると、屋根など全て文字で描かれています。
平安時代に流行した作風ですが、国宝に指定されているのは、この曼荼羅図だけ。

奥州藤原氏の美意識・政治のセンスやば!

奥州藤原氏が納めていたころの東北地方は、
金がふんだんに採れ、独自に中国との交易も行っていたので、
他の地域と比べても財政が豊かでした。
当時の平泉は、京都を意識した街づくりがなされ平安京に次ぐ大都市だったそうです。

金色堂以外の平泉にある他のお寺も、京都から多くの職人を呼んで造らせたと言われていますが、
一方で朝廷は技術が他の地方に流出するのを嫌がった、
ともされています。
なぜ、これだけの素晴らしい技術と豪華な建築ができたのでしょうか?

それは、奥州藤原氏は朝廷への貢物を欠かさず信頼されていたこと、
当時は朝廷内部で源氏と平氏のイザコザもあり、
遠い奥州に関わる余裕もなかったこと、
などの理由がある様です。

源頼朝に滅ぼされるまでの約100年、
清衡公が願った「みちのくの極楽浄土」が維持できたのは、
奥州藤原氏の政治のセンスも確かだったのでしょう。

お楽しみ🎵グッズコーナー

お楽しみのグッズコーナーでは、
狙っていた邪鬼クッションとアクリルスタンドを購入しました!わーい

邪鬼クッション、抱えて寝てるんだけど翌朝の肩こりが強めなのは、気のせいですか?www

アクリルスタンドは、HPに掲載されているタイプ以外にも、
地蔵菩薩だけ、とか如来と観音のみ、などのセットもあるので、
お気に入りの組み合わせをチェックしてみてください!

さて、いかがでしたか?

中尊寺金色堂展は、東京国立博物館本館にて4月14日まで開催されています。
また、一部の展示品が前期・後期で変わりますので、
わたしは3月以降にまた改めておとづれる予定です!

それでは次回、お会いしましょう!

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