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ニンジャ寺子屋で授業やります!

私について私は、なんとなく社会に馴染めなくて、人間関係という点ではひきこもっているともと言えるかもしれません。とはいえ、仕事をして、家庭を持ち、地域に暮らす中で、必死に「普通」を装いながら、いわゆる普通の主婦をやっています。 子どもが学校へ行くことをいやがり、家庭だけで過ごすようになってから、友達とも出会う機会を失い、「遊び」も「学び」もないまま過ごす毎日はつまらなく、今も悩んでいます。親として、子どものために何ができるのだろう?と考えた結果、「普通」にしがみついてきた自分

    • 生きるための学び

      ニンジャ寺子屋は4月に開校したメタバースの学校です。活動するたびにつながりは広がり、参加者は増え続けています。 寺子屋生として、小学生から高校生までの子ども達が参加しています。こちらはまだ、学校といえるほどの組織的な動きはできておらず、まだ試行錯誤の段階です。 ですが、広く誰もが参加できる「公開授業」を開催できる「場」としての寺子屋は、かなり形が出来上がってきました。ここでは誰もが「講師」として、自分の学びを世界に発信することができるのです。 現在、教師の方をはじめ、い

      • はじまりの季節

        一歩踏み出す今日にオススメの一曲 Mrs. GREEN APPLEの『StaRt』という曲ですが、吹奏楽アレンジを投稿されている方の作品に元気をもらったのでご紹介させていただきます。 4月、春になり、何か始めようと思う気持ちを盛り上げてくれる、そんな一曲だと思います! i.noteP:柏木希 [吹奏楽アレンジ]StaRt/Mrs. GREEN APPLE https://www.youtube.com/watch?v=IP5dGc8vVi8 私は最近、「ニンジャ寺子屋

        • 小説『ジミー』を読んで癒されたこと

          青海エイミーさん この小説の作者である青海エイミーさんを知ったのは、1年ほど前、noteでエイミーさんの文章に出会って、なんだかとても感動したのを覚えています。マレーシアでクンダリーニヨガの講師をされているというエイミーさん。自分とは何の接点もないエイミーさんの紡ぐ言葉が、なぜか自分のとても深いところにある感情をくみ上げてくれるようで、以来時々noteを開いては、エイミーさんの文章に癒されていた自分です。 そんなエイミーさんが小説を書かれたということ、そしてそれがすでに多

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          反転授業のオンライン講座に参加したこと

          私は最近、「反転授業」を学ぶためのオンライン講座に参加しました。 約5週間の受講期間を終えて、自分の「学びのシェア」としてこの記事を書きたいと思います。 私が得たものずっと抱えてきた違和感、ずっと晴れなかったモヤモヤ。 言葉にならなかった思いたちが、少しずつ言葉になっていくこと。 閉じ込めていたものを放出して、心が晴れていくことの爽快感。 ありのままの思いを伝え合える仲間ができたことへの感動。 自分の思いを伝えることが、誰かにとって未知への気づきになることのうれしさ。 自

          反転授業のオンライン講座に参加したこと

          クラウドファンディング応援中!!

          私が応援する理由…私は現在不登校の子どもと暮らしていることから、学校外での学びの可能性に大変興味があって「反転授業の研究」というFacebookグループに参加しています。 グループを立ち上げた田原真人さんからご紹介いただき、中村みちよさんの活動を知りました。 中村さんは、宮城県気仙沼市で「フリースペースつなぎ」を運営し、不登校、ひきこもりの子どもたちの安心できる居場所作りの活動をされています。 フリースペースとして使っている建物が、利用者数の増加などで手狭

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          学びのシェアレポート「ありのまま」の探求

          はじめまして はじめまして、あすままです。 子どもが不登校になり、抱えきれない悩みを誰かと分かち合いたくて、「Mix不登校から考える会」というコミュニティを作り、いろんな方とお話しするようになりました。 自分の探求からの学びと気づきが、他の誰かにとっても「新しい生き方」へのきっかけとなることを願ってシェアしたいと思います。 この動画の音声はすべて、無料で使えるWeb音声合成サービス『CoeFont STUDIO』(コエフォントスタジオ)を使わせていただいております。

          学びのシェアレポート「ありのまま」の探求

          「思考のOS」への気づきからの「自己肯定感」

          「スピノザ」という哲学者をご存知でしょうか。 あまり聞いた事のない方が多いのではないかと思うのですが、数々の業績を残した天才物理学者「アインシュタイン」にも影響を与えた、実はすごい人なんです。 アインシュタインは科学の教えるところと聖書の記述との間の矛盾に気付き悩み、宗教には否定的だったそうです。 そのアインシュタインが「私はスピノザの神を信じる」と言ったとか。あのアインシュタインが唯一賛同した神の概念、スピノザの「汎神論」、興味深いと思いませんか?

          「思考のOS」への気づきからの「自己肯定感」

          ホームスクーリングとギフテッド

          ギフテッドとは?「ギフテッド」という言葉をご存知でしょうか? Twitterでのある一連のやり取りから新しい気付きをいただいたのでnoteを書いてみました。 きっかけはこちらのツイートを見て、私が以下のようにツイートしたことでした。 ▼私のツイート 「ギフトというほどの能力は持ってない気もするし、でも当てはまる部分が多い気もするし…Giftedを自称するにはおこがましい気もするし、でもこの情報は知っていて損はない、という気がするわが家です」 ▼これに対して、あるご意

          ホームスクーリングとギフテッド

          学びを考えた日の日記

          学校は子どもの通う場所。卒業したら大人。 大人と子どもってそんなはっきり分けられるものでしょうか。 子ども扱いされるのが大嫌いで、偏屈な子どもだった私のお話です。 学びたい事、知りたい事が、「教科書」に載っていなかったり。 知りたくもない事だらけな「勉強」のために遊ぶ時間が削られたり。 何のための「勉強」なのかと不満がいっぱいなのに、「大人になったら役に立つ」と言われてただ詰め込む。 大人になってみたら、学校で習ったことが役に立ったのか全然わからない。 むしろわからないこ

          学びを考えた日の日記

          なぜ生きる

          私とは何か。 物心ついたときから考え続けていた。 「女の子でしょ」 母にそう言われる毎に腹を立てていた。リボンやレースのついた下着や洋服、スカートなどは「着たくない」と駄々をこねていた。 自分が女性なのは事実。けれど「女性らしさ」を他人から求められることに強烈な嫌悪感を感じていた。 その他にも「慣例に習う」「しきたりを守る」ということにも嫌悪感があった。当たり前のことにいちいち疑問を感じてしまう。 アマノジャクなのだ。 「本当にご飯は三食決まった時間に食べるのが一

          なぜ生きる

          オンライン家庭教師さん

          勉強がきらい。失敗にイラつく。息子(小2)は勉強が大きらい。 勉強だけでなく、できない事、失敗することへのイライラや拒否反応が強すぎて、課題を乗り越えられない。 すぐに癇癪を起して、不機嫌で生活がままならなくなる。 「いやならやらなくていいよ。」 「いやでも我慢してがんばることも大事だよ。」 なにが正解なのだろう。 ひらがな。 自転車。 新しい課題に突き当たる度に癇癪を起こすわが子。 「いやならいいよ」とあきらめる日もある。 「やってみるか」と挑戦する日もある。 癇

          オンライン家庭教師さん

          スイミーから考える

          2年生の教科書で見た? 出典:http://www.amazon.co.jp/ スイミーは逃げ足が早いスイミーはたくさんの赤い魚の中で一匹だけ真っ黒。 そして逃げ足が速い。 スイミーの群れを襲った「大きなまぐろ」から逃げられたのはスイミーだけでした。 なぜ逃げるのか単純に「大きなまぐろ」に襲われたら怖いと思うし、食べられたくはないですよね(^_^;) だけど、食べられること自体は自然界では当たり前の事で、「小さな赤い魚」は「大きなまぐろ」の一部になった、ただそれだけ

          スイミーから考える

          へこみすぎてふて寝した自分

          やはり家しかないのか…今日は小1のHSCな息子くん、放課後デイサービスの日だったのだけど。 「行けない。もう行きたくない。」 ああ、やっぱりか、と思った。 利用を始めて5回目。 ここもやはり「第2の居場所」にはなり得ないのか… 利用に至る長い道のりを思うと、簡単に諦めたくはないと思う反面、本人がいやなら、行く意味がないという現実。 家がいいなら家でいい。 そうは思うのだけど、「ひま、ひま!」と母につきまとうのを見るにつけ、家しか知らなくて、母しか友達がいなくて、それで

          へこみすぎてふて寝した自分

          現実を受け入れる

          なぜ生きる最近ある法要に参列した際、お寺の住職のお説教で大変驚いたことがあります。「歳をとって、段々と生きる意味を考えるようになりました」 え?! こんなにも熟年で、徳を積んできたであろう住職が、最近に至るまで「生きる意味」を考えずに生きてこられた?! はたしてこの方がのんきなだけなのか、普通とはそんなものなのか、私にはさっぱりわかりません。 私は物心ついたときに思った記憶があります。「なんのために生まれてきて、なんのために生きるんだろう?」そして大人はあれこれ指示を

          現実を受け入れる

          助けを求めるということ

          汚いものにフタをして、したたかに生きられる人だけの社会が出来上がってはいないだろうか。 マイノリティ、社会的弱者。そういう人達が表だって理解を求めたところで、白い紙に黒いインクがにじんでいくかのように、社会がむしばまれる感覚で見る人も多いのではないだろうか。 わが家は今、不登校の問題に直面している。 社会でも不登校が増えていることが問題にされているけれど、実は不登校は問題ではないのだ。学校へ行かなくても学べることは多いし、不登校でも自分らしくちゃんと育つ子も多い。 問

          助けを求めるということ