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現実を受け入れる

なぜ生きる

最近ある法要に参列した際、お寺の住職のお説教で大変驚いたことがあります。「歳をとって、段々と生きる意味を考えるようになりました」

え?!

こんなにも熟年で、徳を積んできたであろう住職が、最近に至るまで「生きる意味」を考えずに生きてこられた?!

はたしてこの方がのんきなだけなのか、普通とはそんなものなのか、私にはさっぱりわかりません。

私は物心ついたときに思った記憶があります。「なんのために生まれてきて、なんのために生きるんだろう?」そして大人はあれこれ指示を出すので、きっとそれに従って進めば、なにか正解があるのだと思っていたのです。

生きる意味を求めて

小学校に入って、「さあ、大人になる勉強をするんだ、今まで不思議だったことが全部わかるんだ!」と張り切っていたら、勉強ってなんだかクイズみたいで。

この服やこの食べ物は誰がどうやって作ってるの?この家はどうやって建てたの?お金は誰からどうやってもらうの?この世界の決まり事はなに?

家族に聞いても、あまり詳しくは話してくれませんでした。だからいつか学校で習うのだと思っていました。

「小学校は入門編だから、そういうのはまだ教わらないのか、もっと勉強しなくちゃ」とがまんして、中学で「地理」「歴史」「公民」を習った時に、「ついにきた!」と思いました。しかし、日本国憲法が何より一番の決まりなんだと分かったところで、なんだか生活にまで落とし込めないというか、実感の伴わないものでした。

そんな状態のまま、高校も卒業し、会社へ入りました。会社で必要な手続きは、初めてのことばかり。「なぜこんな大切なことを学校では教わらないの?」「会社に入らない人は、どうやって社会の仕組みを知るんだろう?」

正解がない

この世界での生き方に正解がないということに気付いたのは、本当につい最近です。
「大人になれば」「仕事をすれば」「結婚すれば」「子供を持てば」大人から言われるがままに生きてきましたが、生きれば生きるほど、なにが正しいのかわからなくなることばかり。

憲法で謳うほど日本人は平等ではないし。
本音と建前は使い分けてこその常識だし。

『智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ』なんて、夏目漱石はなんと見事に人の世を言い表すのだろうと、感心したものです。

大人の世界はいつだって仮面ばかりで、辟易してしまいます。
それでも、考えれば考えるほど、大人の世界は効率よくできていて、子どもじみた正義を説いてみても、生活の足しにはならないわけで。

だけど、世界には知らないことが山ほどあって、それを求めて生きることが人生の醍醐味なら、それもいいかと思えたりして。

生きる意味は、ない。

そもそも生きることに意味などない、というのが私の出した結論であり、信念です。
生きる意味はないけど、「生きる」ためにプログラムされているのが、生命、なのでしょう。
頭では「死にたい」なんて思ってたって、体は正直で、全力で生きたがっています。

生まれてこなければ楽でよかったと思ったりしますが、親が私を生んだことにだって意味なんかないから、恨むことにも意味がない。

生きてたら、幸せがほしくなる。幸せを求めたら、誰かとつながる。つながりの先に、家族ができていく。それって、意味なんかなくて、ほんと仕方のないことなんですね。

生命のプログラムにのっかってるだけというか。

「生きることはめんどくさい。ならば子供を生んでめんどくさい人生を与えてしまうことは罪だ」私はそう思ってました。
「幸せになりたいから家族になろう」そんな風に考える夫を、なんて自分勝手なんだと、実は今もちょっと思っています。
「生まない」という選択肢だって、あってもいいと思います。
しかし、誰かと一緒に生きることの心地よさって、めんどくささを上回ることもあったりして、自分勝手に生きないと幸せになれないのが生命というか。

結果、現状、子供にとってはつらいことの方が多いみたいで。今はまだまだ「勝手に生んでごめん」としか言えなくて。
「それみたことか」なんて夫にも自分にも、言ったところでどうにもならないから、言う気もないけど。がんばるしかなくて。

生んだからには、時には自分を差し置いてでも、子の幸せのために力を尽くすことこそ親の責任と感じます。

仕方がないから、生きる

私は、子供がいて、家族がいて、幸せって感じます。やっぱ人間は、群れたい生き物なんだと思います。

だけど、つらいことも多いから、やっぱり生まれてこない方が楽かもって思っちゃいます。
だから、本当に覚悟があって、一人で生きられるだけの力もあるなら、生まない選択肢があってもいいと思うんですよ。そして、そういう選択をした人を、サポートできる社会であってほしいとも思います。

でも、人との関わりの中で、しがらみって言うのか、生んでも大丈夫とは言い切れない覚悟のままでも、生まざるを得ない人生だって、実際あるんですよね…

そうなったらもう、割りきるしかないんだと思います。未熟な親で、子供に満足な幸せを与えてあげられないとしても。出来る限りの精一杯で、自分がいいと思ったことをして、生きていくしかないんだと思います。
生まれてきたから、生きてるんだと。仕方がないから、生きていくんだと。生きるために、幸せになるために、今日もがんばろうよ、って。

子供のために、子供と共に、それが子にとってめんどくさい人生だったとしても、親にできることは、子を思うこと、寄り添うこと。

そうしてまた、生命はつながれていくのかな…やっぱ遺伝子の乗り物なんだよな、なんてね。

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