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はじまりはここから

おはようございます。こんにちは。


昨日の続きから始めますが

初めてここへお越しの方は

何が何だか分かり兼ねますので

これらを貼り付けておきます。

以前の赴任地は2014年4月1日まで。


パートナーである先輩に別れを告げ、

1人は何かと問題山積になるが

あんたのその優しさ、

厳しさなら熟せるはずや…

我がを信じることが大切!

私はこのことばを胸に、

ここへ赴任したのは4月3日。


10年と言う長くて短い年月が流れました。


赴任前、どうあっても考えがまとまらない。


着任後は自転車で、徒歩で…

車、バイクは使わずに

改めて自分がどんな所で住んでいるのか

これを再確認することに専念した。


歩けば見えていないことが

多く見えてきます。


ならばと思い、

朝は最初は小学校近くの歩道に

立って車の動向を見ながら

挨拶をすることを決めました。


午後は別の場所へ行き、

自動車通行などの確認です。



「おはよう!」

ではなく、語尾に

「ございます」



それはね、

上から目線は良くないと感じたから。


と言うのも

私には子供がいません。


扱いにどうするべきなのか?

何かあったらこどもたちに

どう答えるべきなのか?


成人とは違うのは判っていても

とりあえず当たって砕けることとした。

4月8日、

いよいよ新学期・・・


自分で決めた時が来ました。


「おはようございます!」


そう言っても誰も返事は当時ありません。

不思議な眼差しで私を見て、

過ぎ去って行きます。







仕方のないことなんです。







今でこそこどもたちは

学校の指導も徹底され、

みんな挨拶してくれますが

当時までは違いました。

旧家のこどもたちは家で

「制服着たる者無視すべき」


10年、9年前までは

それが親から子へ、子から孫へ、

家庭で代々教え継がれたと聞きます。


これは第二次世界大戦中の名残で、

一般人が軍人として出征し、

戦地で我が子を亡くし・・・

母親、父親など

一人で我が子を育てた

苦しさ・・・

憎しみ・・・

原因のひとつである・・・






時代遅れの

悪しき慣習がそのまま残っていたのです。






仕方のないことか…

そう思いつつも私はこれを継続しました。



やがて中学校校長が

小学校長に着任する。


二学期からの赴任の挨拶があり、

私に謝罪の言葉がありました。

こどもたちが朝、
貴殿に挨拶しないことを
聞きました。
次の全体集会に挨拶の励行
これを注意喚起いたします。
大変申し訳ございません。

私ごときに謝罪は必要ありません。
私は任務の一環としてしていることだけです。
そう割り切っていたので何とも感じません。

挨拶を継続し、

実ったのは間もありません…


今まで挨拶が全くなかったのが

一気に流れが変わったのです。


どうしたのかな?


調べて行けば

「回覧板10月号」


これを学校側が

「こどもたちの挨拶の励行!」


これを打ち出し、

公民館を通し、

この全地区に頒布したのです。


トップが変われば

教頭以下、下は従うしかない…


親は学校の流れに

従わざる負えない…


これが私がここを去る日が来ても、

次の方に受け継がれていけばいいな・・・


そう感じたものです…


そして1年が経ち、

やがてこの地ににも

終の棲家や利便性を求め、

市内地から人口が流れ込んできました。


本日はこんな言葉を残して終わります。

これを見た未来あるこどもたちへ…

素直なひとになりましょう。
あいさつができるひとになりましょう。
しあわせを願える人になりましょう。
人の役に立てる人になりましょう。
他人の痛みがわかる人になりましょう。
陰口を言う人にならないようにしましょう。
感謝できるひとになりましょう。

しあわせは歩いてきません。
自分から歩み寄ることが大切なんです。

最低でもこれだけは守りましょう。

本日も

最後までご覧いただきありがとうございます。


佳き一日でありますように。



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