見出し画像

働けるって、素晴らしい

復帰して仕事をぼちぼち始めたときの話。
バスが交通手段だったときの話。

暑い日差しを避けるため新しく買った日傘をさして土手をとことこ歩く。最寄りのバス停まで20分。

バスが時間通りに来ないのは分かっている。

だけど、「今日こそは定刻通りに来るかもしれない」というわずかな望みを信じてわたしは毎日、定刻前にはバス停にいる。

残念ながら、バスは定刻の5分後に来た。また、わたしのわずかな望みは叶わなかった。しかし、これでも早いほうである。

このバスに乗り遅れると次のバスまでは1時間半後だ。遅刻というか午前中が潰れるくらいなので何が何でも逃してはならないのだ。

わたしはPASMOをかざして乗車した。バスには既に乗客が3~4人いた。

田舎あるあるかもしれないが乗る人が少ないので座席が決まっていることがたまにある。

わたしはだいたい右側の二人席に座る。

その後は、わたしはのんきに知らない間にできたお店とかこの家の屋根この色だったっけ?とか窓から流れる景色をぼーっとみてるだけ。

ただただ会社近くのバス停に停まるのを待つだけ。

仕事をしていればあっと言う間に時間は過ぎる。
嫌なことを思い出すことはほとんどない。

でも、仕事をしていれば疲れる。
必死に身体が休めようとしてくる。

お弁当を食べてぼーっとする。

午後も午前と同じように働く、だけど眠気がセットでやってくる。

仕事が終わり、バスにいる時間は音楽の時間。
好きなアーティストの好きな曲だけを何度も聴いている。

スピッツの歌のようにバスの揺れ方では人生の意味は分からないし嵐の歌のように今がすべてじゃないよなぁと。

細い道でもグングン進み、止まるときはグッと止まる。
いつか事故ると思いながら、だけど事故らないバス。

知らない間にできたお家とかこっちをみている猫とかとすれ違い、昔の嫌だった出来事を思い出しながら下車する。

少し冷たい風が頬をヒリヒリさせる、わたしは無言で橋を渡る。あと少し、もう少しと行きの道を帰っていく。

夕ご飯の香りと団欒のあかりを今日もくぐり家路に着く。
わたしはその繰り返しで生きて働いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?