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シロクマ逃亡記 その1

このままでは病んでしまう。
と気がついて逃げようと思い立った決意までは
前回書いた。

それから一週間たってみて思うことは
余力があるうちになんて思っていたが
実はギリギリだったのだと気づいた。

休むと決意してから本当によく寝た。
体は正直でひたすら寝た。
朝も寝て、昼も寝て、夕方も寝るが、
夜も寝られる。
赤ちゃんみたいだ。
夢うつつに今までのことが
走馬灯のように頭を駆け巡る。
死ぬ前はこんな感じなんかな なんて考えつつ寝る。

早速病院にも行くが、日本全国どこでも
メンタルクリニック的なものは予約待ちのようだ。
新規予約は受け付けないところも多数。
とりあえずかかりつけの町医者にかかり、
弱い抗うつ剤(リラックスできるって言われた)
が処方された。
(寝ることができるので今のところ薬は飲んでいない。
副反応で寝過ぎるとか太りやすいと書いてあったから、
飲むのが怖かった 汗)

ここでも診断書は書けるけど、
ちゃんと診てもらった方がいいと言われ
精神科への紹介状を書いてもらった。
その足で予約を取りに行く。
いきなり行ったので、なんだか居心地悪い感じだったが
予約がいつになるかまた連絡すると言われた。
予約がその場でも取れないのか。
病んでる人が多いんだな。
と、人ごとみたいに考える。

職場の方からは配置異動が提案された。
遅いけどな。
っていうか初めに転勤してきたものを
誰もやりたくない仕事にもっていくからだ。
初めの人事配置ミス。
部署が変わっても
私の頭と体はもう違うものになっているので
すぐには戻れません。と言った。
まぁ、それは自分の体と相談して。と言われる。
誰のせいだよ。

何より困るのは
頭が働かない。決断が鈍い。
今までだったら、
ついでにできたことや、すぐ決められたことも
頑張らなければできない。
参観日行くかとか振り込みをいつするかとか。
そんな些細なこと。
頑張ると手足が痺れてきて、耳が詰まってくる。
感覚的にはインフルエンザの熱が下がったけど、
まだ体はしんどい時のような感じか。

それでも子どもは母親がピンチだと
分かっているのかいないのか。
変わらず接してくれる。
娘達も新学期が始まり、自分のことで精一杯だ。
長女は毎日楽しそうに登校してくれて実にありがたいが、
次女はクラス替えが最悪だったらしく、
起きるのも登校するのも実に渋々。
仕事に行けてない私が
なぜこんなに気を遣わなきゃならんのだ
と思いつつ、励ましたり、ご褒美を用意したりしている。

毎朝30分くらいかけて何とか起きて、
弁当と朝食を作り、なんなら学校に送り届けた頃には
ヘトヘトになって、また寝る。

職場から電話がかかってきた時、
しんどくて泣いていたら
泣く暇があったらご飯を作って。
とPMSが辛い長女に冷たく言われ、
しゃくりあげながら味噌汁を作り、
「スパルタだな。
でも、みんなに気を遣われているときに
変わらないのもありがたいな。」
などと涙を拭きながら思う。

職場で進められた健康相談にも行った。
適応障害っぽいですね。
と言われ、自分でもそう思っていたので
妙に納得する。
状況を説明すると、大変な目に遭いましたね。
エネルギーがなくなっているので
ゆっくりして元気を貯めてください。
そしたら、あなたは大丈夫。
また、働けますよ。
と言われ、ホッとした。

病院予約も取れ、
職場には病気休暇を出す算段がつく。
耳が痛いのもまずい薬を飲みつつ、良くなるだろう。
やらないといけないこともあるし、
不安に押しつぶされそうになったり、
やたら強気になったり、
楽しいこと考えたくても
なかなか難しい日々だ。

そんな時宝物のような言葉に出逢った。
暮しの手帖 29。
2009年に郵便不正事件があり、
間違って逮捕された村木厚子さんの手記
「負けない方法」

そこには、
自分で自分を追い詰めない。
嫌な相手が嫌なことを言ったのは一回だけなのに
何度も思い出して、何度も傷つく。
それをしているのは自分なのだと。
書かれていた。
本当にその通りだ。

たくさんの人が心配してくれて、力をくれる。
それなのに、自分で自分を苦しめていると
我に返った。

神様が休みをくれた。
そう思って疲れた心と体を癒やして
心の声を聞いて
自分と自分の人生をコントロールできるように
練習していきたいと思う

シロクマ逃亡記。
まだまだ続きそうです。

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