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集落における林業の在り方

森林を日常生活の中に取り入れた新しい生活様式を創造する

いきなりだが、私は集落、特に限界集落で林業をしたい。
林業といっても、ただ木を搬出するものではない。森づくりのツールとして林業を行いたいのだ。

その目的は2つ。
1つ。子供たちに集落を含めた森林を使える状態で残すこと。
2つ。森林、林業の可能性を拡張すること。

なぜ限界集落なのか。
→人が少ないところのほうが、取り組みやすいから。
森林、林業の可能性とは何か
→森林は木の畑(木材生産の場)として、利用されることがほとんどだが、森林の持つ空間やその他の機能がより発展し、新たな経済活動が起こる可能性のこと。

1つ目の目的では、集落の存在が認識されることが最初の課題となる。集落が認識されるためには関係性が必要であり、第3者が集落との関係性を持つのは、"場所と人"の関係としてはキャンプ地や観光地、あるいはアニメや映画の聖地になる。また、"人と人"の関係では、親や親戚、友人の移住先などであろうか。定期的に集落を訪れる・見聞きすることで関係性を持ち、思い出話で登場することが継続するうえで必要なことである。関係づくりの手段といて、キャンプ地を推す。この理由については、、、

そして、「子供たちが使える状態」ということを時間軸で考えると、人と森林との時間軸は当然違うため、人間の時間軸ではなく自然の時間軸の中で、森林と集落が存在する必要がある。時間軸を「変化する速さ」と言い換えると分かりやすいかもしれない。人の時間軸は、科学が発展し、インターネットによって世界規模で情報が伝達され、1秒単位で刻々と変化していく。これに比べ自然での変化は、人の時間軸を基準に比べると安定しており穏やかである。寿命で比べても、人の寿命は100年であるが、木の樹齢は数百年であり、木の集合体である森林では時間の流れが安定的でゆっくりであることがわかると思う。

人の時間軸(合理化・効率化することで生産性を高める社会)と森林の時間軸(変化の速さ)は異なることから、子供たちに森林を残そうとするとき、人の時間軸から森林の時間軸へ切り替わるようにすることが重要である。

2つ目の目的は「森林、林業の可能性を拡張すること」であるが、これはどういう意味か。現在の森林の利用の仕方に着目すると分かりやすい。

森林は8つの機能を持つが、8がほぼ唯一、経済を回す歯車として機能している。その他の2,3,4,5は私たちの変わらぬ生活を陰から、そして長期的に支えてくれる機能(言い換えれば2,3,4,5は将来支払うことになるかもしれない代償を、現在機能を果たすために必要な費用と考えることができる)であり、6,7は生活の中に存在する機能である。言い換えれば2,3,4,5は将来支払うことになるかもしれない代償を、現在機能を果たすために必要な費用と考えることができる。

【森林の多面的機能】
1.生物多様性保全機能
2.地球環境保全機能
3.土砂災害防止機能/土壌保全機能
4.水源涵養機能
5.快適環境形成機能
6.保健・レクリエーション機能
7.文化機能
8.物資生産機能

ここで私が言いたいのは、8の機能を果たす森林であっても、他の機能も同時に発揮できるような施業が必要ではないかということである。著者の中にある違和感を言語化し、伝えることが非常に困難ではある。

物質生産の機能を果たすために、森林は木の畑として乱雑に扱われることが多々ある。このような経済活動を前提とした林業を否定したいわけではない。

それ以外の林業、8の機能を発揮する前提で施業をするが、他の機能も同時に発揮され、多面的機能が同時に高められるような林業があってもいいのではないか。そして、そのような林業を行うべき場所が集落なのではないかと思う。8つの機能が同一空間に成立し、発揮される林業が特に集落には必要なのではないかと考えている。

森林の可能性とは、経済活動を8以外の機能でも果たせる可能性であり、
林業の可能性とは、8つの機能が同一空間に成立し発揮される可能性である

そして可能性の拡張で目指す先は、芸術だと考えている。

どこから芸術が出てきたかというと、H・フォン・ザーリッシュ著作の『森林美学』からである。この『森林美学』というのは、私が拙い文章で何とか伝えようと努力した、「功利と美の調和」を主張したものだ。

施業林と美が調和し、



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