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映画『天気の子』は、考えるのを止めた私たちに“思想の命”を吹き込んだ——ネタバレのない感想文

時刻は、23時ちょうど。

イオンシネマの5番スクリーン、最後列の片隅で、私は泣いていた。

ぼろぼろと涙をこぼし、エンドロールが終わるその直前に、薄手のカーディガンの裾で両目を押さえる。手首のあたりに生温かい液体が、じんわりと染み込んでいくのを感じていた。

新海誠監督の新作『天気の子』を観て、私は泣いていたのだ。

今、この時代、このタイミングで、この作品に出会えたことを心から感謝しながら。


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朝のニュースで、『天気の子』が公開されたことを知った。

新海誠監督がテレビ画面に映され、映画の内容が淡々と語られていく。

タイトルフォント、登場人物、情景描写に主題歌——その作品を形作るすべてに既視感を覚えたのは、私だけではなく、隣で歯を磨く夫も同じだった。

夫がまだ“彼氏”だった頃、二人で『君の名は。』を観に行ったのは記憶に新しい。

あのときは、世間の波に後押しされるように映画館に駆け込み、アニメーション映画で初めて泣いた。

夫と「良かったね」と話しながら、その足でRADWINPSのCDをレンタルして『なんでもないや』を車内で口ずさんでいたのを覚えている。

当時の感動があまりにも大きかったこともあり、殊更に「今回はどうなんだろうねえ」と疑り深くなっていたのかもしれない。

同じ監督の映画作品を見て感情を揺さぶられる体験が、そう2度も3度もあるものだろうかと。(アニメーション映画は、個人的にこれまで触れてこなかった分野なので余計に)

だが、映画が公開されると同時に、SNSのフィードは瞬く間に『天気の子』に対する賞賛の声で埋まっていった。

身近でも、映画を観た人たちが「最高だった」と口々に語る様子が増え、好奇心を指で突かれた私は、我慢ならずに夫を誘うことにした。

『君の名は。』のときと同様、夫は二つ返事で承諾した。


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今更ながら前置きをすると、ここで語りたいのは、物語の内容に基づく考察や感想ではない。

それらは、私が語らずとも、たくさんの人が記事にしているし、正直、私自身が物語の内容そのものから話せることはあまりない。

ただ、映画を観終わったあと、強烈に感じたことが一つだけあったので、思わず筆を取った。

それは、『天気の子』が、作品を観た人たちを、とことん“考える”という行為に引き寄せていることだ。

先にも触れたように、『天気の子』に関する考察や感想はSNSに溢れているし、それを読んだ人たちがまた新しい考察や仮説を立てて記事を書く、といったサイクルさえ生まれている。

中には、物語に散りばめられた新海監督の意図を一つでも多く探ろうと、2度、3度と映画館へ足を運ぶ人もいるほどだ。(よくよく考えれば、『君の名は。』も同じような現象が起きていた)

それほどまでに、この作品は素晴らしく、考察のしがいがある証拠なのだろう。

面白いのは、人によって解釈や感じ方、捉え方が少しずつ異なっているのに、そのどれもが納得できるものばかりだということ。

あのシーンの情景描写、過去作品との類似性や相違点、登場人物の台詞に込められた現代社会への皮肉や、主題歌との親和性……。

明確な“答え”が提示されているわけではないが、それでも一人ひとりの考察や感想を読むたびに、私の思考は刺激され、少しずつ広がりを見せる。

誰かの意見や考えを元に、自分の頭で物語を反芻し、思考を巡らせ、仮説を立てては、その検証を行うように物語のあらゆる情報を組み立て分析をするのだ。

そして、最後にハッとしたように気づく——


最近、何かに対してここまで深く考えたことがあっただろうか?


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インターネットが普及するにつれ、私たちは考えることを止めてしまったように思う。

Googleを使えば、欲しい情報はいつだって、どこにいたって簡単に手に入る。世の中が注目するトピックへの意見や評価は、SNSを開けば、向こうからやって来るようにもなった。

楽して情報を手に入れる感覚が染み付いた今、自分の頭で“考える”行為には面倒くさいという感情が付きまとい、物事の本質を見抜く力は、少し、また少しと衰えていくのを感じる。

そんな時代だからこそ、『天気の子』のように、一見分かりやすそうでありながら、その裏に大きなテーマや訴えを内包している作品は、より輝いて見えるのかもしれない。

少なくとも私は、この作品を通してあらゆる思考を巡らせ、“考える”という行為そのものを考える機会にも繋がった。

「『天気の子』のような、“正解”ではなく“問い”を立てられるコンテンツが、この世界には、あとどれくらいあるのだろう?」

そう思うと同時に、自分もその“作り手”でありたいと願う。

今、この時代、このタイミングで、この作品に出会えたことを心から感謝するほかなかった。

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余韻に浸りながら、5番スクリーンを後にする。薄手のカーディガンの裾は、まだ、ほんのりと湿っぽい。

外に出ると、雨が降っていた。

隣にいる夫の左手を、強く、握りしめる。

私たちは、駐輪場に向かって、せーので駆け出した。

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なかがわ あすか

フリーライター。1994年 滋賀県生まれ。人の頭にドラマを描くような文章を書きます。

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