2022年、めんどくさい人のめんどくさい振り返り。-仏教

2022年は印象深い年だった。
何年経ってもそう思うだろう。
離婚した年もそんな感じだから。
離婚もけっこうなことだが、出来事より精神状態の変化が大きいと印象に残るのだろう。

さて、2022年の出来事は置いといて、仏教との出会いは衝撃だった。

素人が仏教に興味を持ってから、いちいちお経に感激して読経にはまる様は他記事の通りであるが、得たものは『空』、『赦し→希望』への気づきである。
なお、お経の他にも仏教本を読みまくったので無駄に詳しくなったが教義は難解だし書籍の方がまっとうなのでここでは書かない。

以下、自分語り入る。

私は人生にも世の中にも絶望していないし、自己肯定感は低くない前向きな人だ。人付き合いはもそつなくできる。かなり付き合い悪いが。
我が道を行く傾向があり、おそらくその強さもある。

全く問題ない。

だが、けっこうぐちゃぐちゃ考えて、失敗しないよう絶望しないように予防線を張っている。昔から。
斜に構えためんどくさい子供がそのまま大人になった感じ。
こういう自己認識の人は多いと思う。


【空】
般若心経の冒頭、
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

「五蘊」という「色・受・想・行・識」はすべて「空」であると照見して一切の苦厄から解放された。

(なかり端折って)
考えるのやーめた。空だし。
(しかも理系なので)
あるのは現象のみ。でもそれすら空。

⇒思考ストップ
なお、もともと考えない人にはおすすめしない。

【赦し→希望】

そもそもさ、期待する方が間違ってるんよ。
今までろくなことやってこなかったし、ぱっとしないから今後もそれなりの人生だと思うよ。自分。
まあ、年も年なんでほどほどで行こうや。疲れるし。

こういうマイルドな諦めというか予防線が取っ払われた。
前向きで自己肯定感そこそこなつもりだったけどそうでもなかったのだ。
めんどくさいったらありゃしない。

経緯としては、
懺悔文で懺悔して、光明真言で罪消して、希望を新たに何かを望めばよい。
望んでもよいのだ。私だって。
神仏に願うもよし。神仏とその世界は思いのほか寛大なのだとわかったから。
赦された。そしてなんとでもなる。


悪いことはしないにこしたことはないが過度の罪の意識や、ねばならぬ思考は行動を制限する。


しくじったらやり直す、別の方法を考える、すっぱり諦めるだけ。
心折れたら仏教本を開こう。読経しよう。きっと何か見つかる。
そもそも空だし。←なんでもこれ。

やった後悔よりやらなかった後悔の方がでかそうで成功可能性が否定できない分長引きそうで質が悪い。
行動あるのみ。今からでも遅くはない。


以上、考えすぎで自己啓発本を読んでもピンとこなかった人が仏教を通して、ありきたりなことを思い至る。


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