2022年、振り返り。-仏教 2

振り返りの続きです。
仏教関連での気づき、空、赦し、希望の他に『感謝』があります。

すべてに感謝。つきなみですが。

普段のやりとりで人に対しての感謝はふつーにできます。
嬉しく、ありがたく、助かりますもん。
本件の感謝はそうではない対象に対する感謝です。


神仏を拝むご利益やこの仏様はこういうお力をもっていて~というのは、たいてい慈悲や救いです。
仏様は一方的に救ってくださる。損得抜きで。
修行の一環でという設定ですが心広いです。
常人にはできないことなので修行なのでしょうが、偉大であるよと思うと同時にありがてーことだっすと思ったわけです。
私、心狭いので余計にそう思います。

でもって、全てに仏は宿る(自分にも他人にも物にも)となると、粗末にできませんね。

他には(守護霊とか抜きにしても)自分の存在、遺伝子、生体を構成する物質、環境ひっくるめて、それがありふれたものであろうとも、今この瞬間の組み合わせは偶然の産物でどれが欠けても成立しません。

帰省して暇すぎたとき、〇〇町史、××村史なる分厚い本を読んでいて、有名スポットや方言一覧の他に死者数の記録がありまして。地震、台風、水害、戦禍でとんでもなく多くの人が死んでます。昔の記録なのでおおざっぱですが淡々とした記録の羅列は逆に怖いです。田んぼの水関連の諍いも。

そんな中で、私の先祖というか親戚一同が生きていたから今の自分があると。その後の治水、医療、建設、農耕ありとあらゆる技術発展と平和な世には感謝するしかないです。
大昔、それこそ仏教伝来時、それ以前の世の中なんて想像するに恐ろしく、神仏に祈りまくったのもわかります。

なんてことを考えると、その辺の建造物、整備されたインフラ、法律、通信、食料、運輸、経済、産業、福祉、分化、あらゆるものは誰かの労働や尽力によって成り立っている、ありがたや、尊い!なんて思ってしまう感謝マニアになりました。

そして、享受する方が多いけど、少しは人の役に立ちたいわと思うようになりました。

しかし、お礼は言い尽くせずお返しもできかねるので、日々のお経よみの終わりに〇家ご先祖(実家)、△家(母の実家)、×家(母方の祖母実家、なんとなく強いご縁を感じる)、◇家(元夫の実家、離れたけど)の加護、ごはんが美味しくて、どこも痛くないこと、今を生きてることに感謝!今後は人の役に立ちたいからまだ生かしといてくださいと唱えてしめるようにしています。ガチで。


ありがとうと唱えまくると世界が変わる、ありがとうは有難いなる講話にピンとこなかった私ですが、仏教を通じて感謝するようになったという話でした。

















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