お経よみ、その後。

ご無沙汰してます。

お経よみは日常化し、といっても毎日ではなかったりの相変わらずの気合いのなさ。

しかしですね、やはり良いですよ。お経は。
高野山真言宗在家勤行次第、読み下し文混じり。
懺悔し、仏への帰依を誓い、恭しい気持ちでお経に向き合い、般若心経で空を認識し、理想の存在である仏様を思い、光明真言で超清らかになり、開祖空海の慈愛と知性に感謝し、世の平和と周囲の幸福を願う。

内容通りのありがたい感じに加え、
自分→仏→世界と衆生へと焦点を移動していくことにより、自分関連の細かいことはどうでもよくなります。

近頃は、今日もどこも痛いところなく、ごはんが美味しいことと日々のご加護をご先祖に感謝し、へっぽこな私を受け入れてくれたことを今まで会ったすべての人に感謝、これからの出会いが互いによきものとなりますようにとかって追加で唱えてます。どうしたんだ?ってレベルですが本気で思っています。


ここで、注意。
読経してお祈りしても現実は変わりません。
資格試験には落ちますし、頭はよくなりません。
当たり前ですが現実逃避になってはけません。

仏教本読みふけるより、勉強の追い込みかけるべきでした。
素直に反省。

ま、でも、資格試験落ちるくらいででよかったわ。
実力不足がわかったし、調子こいたままだったら、もっと手痛い失敗してたかもしれんもんね。
試験は次回にかけるわ。落ちた履歴なんて残んないし。

というふうに立ち直りが早くなったのは仏教効果かもしれません。


なお、3個おちました。











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