心を作り変える方法―心的イノベーション

目次

・なぜ人の心は変えられないと思うか?
・人は作業で鍛えられる
・仕事でできるなら心でも
・学校では教えられない心の作り方
・環境という外界の表面
・心を深層で捉えるのではなく、表層に引きずり出す
・感触の天秤
・用語を覚えることは重要ではない
※以下有料
・関数型思考
・心の次元
・オートポイエーシス
・理論から実践へ
・オープンイノベーション
・創造性の源泉―ブリコラージュ
・多様性の源泉―二重作動
・プロセス習得の段階
・心を作り変えるオペレーション

 人の心を変えるのは難しい。

 何度言っても治らないやつは治らないし、
自分だって、いざ変われと言われても、
どうすれば良いのかわからないだろう。


 心を簡単に変えられるのなら、リーダーが頭を悩ませることはないし、精神疾患だって起こり得ない。

 そもそも「心とは何であろうか」という問いに答えられた試しがないから、未知の領域で手が出せない、と考えるだろうか。



 いや、実際、心を作り変えるのはそんなに難しくない。

 皆、やり方を人から倣っていないから、やろうとしないだけである。



【なぜ人の心は変えられないと思うか?】

 ほとんどの人が心を変えられないのには、それなりの理由がある。

 というのも、心がリフォームするところを、誰も感じ取っていない


 もう少し詳細に言えば、

他人の心がどのように変わったのか、そのプロセスが分からない

自分の心が変わっていたとしても、それを感じ取ることができない

加えて、③パッションやメンタルは、それが、それ自体を助ける仕組みになっている


という問題がある。


 科学はデータを用いるため、常に動いている心そのものを扱うのではなく、

静止する履歴を元に検証を行う。

 つまり、動的な心を扱うのに、静的なアンケートデータを用いるわけである。


 このとき、見落とされるのが、「変化の場面」である。

 この検証に基づいて測れるのは、変化前と変化後であり、「変化のさなか」を捉えることができない。


 これが①の問題を引き起こしている。


 また、仮に変化のさなかにある本人であっても、どのような変化が起きているかを語る言葉を持っていない。

 人の語彙は通常、他人との会話で習得するものなので、心の変化のプロセスを誰一人として言葉にしていなければ、それを語ることがどういうことなのか、人から教わることがない。


 自身の感触に敏感なのは詩人や芸術家や職人で、彼らの語りから学べるものは多分にある。

 ただ、トレーニングを積んでいない人は感覚が粗雑だから、たとえ変化が起きても見過ごしてしまう。②の問題の理由はここにある。


 最後に③の問題がある。

 例えば熱意のある人間が、心を作り変える必要があるだろうか?


 これは問うまでもない。情熱を持って行動できる人は、己の信念を変えずに、目的達成のため行動範囲を広げていく。


 では、怠け者はどうだろう?

 怠ける心は、行動を起こさないからそう呼ばれるのであり、心を作り変えられるならそもそも怠け者ではない。

 

 これらの違いは、惰性の質の違いでしかない。

 情熱的な人は、心を作り変える必要がなく、

一方怠け者は、心を作り変える必要があっても、変えるほどの行動を起こさない。


 つまり、パッションには継続性があるから、そう簡単には変えられず、

生まれ持っての素質かのように思われてしまう。



【人は作業で鍛えられる】

 アスリートは競技の重点や体調管理等を押さえているため、感覚が細かくなる。

 だから彼らからも学べるが、玄人を追う以外にも、自らのうちで学べることもある。


 アルバイトでも趣味でも何でも良いが、

ずっと何かを継続していると、それに関わることがいろいろと分かってくる感触はないだろうか?


 こうやったら効率が良くなるとか、押さえるべきポイントさえ押さえとけば何とかなると気づいてくる。


 これはおそらく、トレーニングによって神経回路が形成され、さらに先端が枝分かれしていくためだろう。

 何かを続けることによってできた神経回路が、複数の脳の領域にまたがることで、複雑に脳が働くようになる。


 このことを「変数を獲得する」と言っておこう。

 趣味や作業を行うこと全体を関数fだとしたとき、それに関わる要素がx,y,z,…と増えて、いろんなものが感じ取れるようになっていく。



 日本には「修破離」という言葉がある。まず師から習い、その教えを破って、いずれオリジナルの領域に入っていくというプロセスである。

 このようなことが起こるのは、①継続が神経回路を安定化させ、②継続のさなかで偶然、変数を獲得するからである。


 下積み時代が必要なのは、あながち間違いではない。

(これは職人の領域に適用すべき通念で、ビジネスではなるべく努力せずにリターンを得られたほうが、コストパフォーマンスが良いので、経営思考とは別立てで考えなければならない。)



【仕事でできるなら心でも】

 人は作業を習って、今まで知らなかったことに慣れることができる。

 およそ3ヶ月。3ヶ月やれば大抵のことはこなせるようになり、余裕が出てくる。


 これが神経回路形成まで要する時間である。

 習熟度の段階としては、3ヶ月、6ヶ月、1年と感触が異なってくる。


 同じである、心も。


 3ヶ月あれば兆しが芽生え、6ヶ月あれば変化が感じられ、1年経ったら別人である。




「なぜ今まで人の心は変えられなかったのか?」


 単純な理由である。

 誰も自分を組み変える作業を習わないから



 誰一人試したことはない。試しても無理だった。

というのも、自分で自己改革する方法を作り出せないからである。


 なぜならそれは、自己否定を含むのだ。

今までの自分が間違っていたと認めることは、心の構造上ストレスがかかる。


 そのストレスを引き受けてまで、自分変えざるを得ない境地に立たされる人は少ないし、

そうした局面がない場合、自らそこまで自分を追い込むほどストイックになれる人もいない。


 自分を変えるのはそう簡単ではない。

 自分が邪魔をしているからである。



 だが、どんな業務でもマニュアルに従えば、ある程度オペレーションができる。

 同じことは心でも可能である。



【学校では教えない心の作り方】

 学習スピードに個人差があるように、心の発達にも個人差がある。

 学校では一律教育を行って教科を教え込むが、心の作り方は教えない。


 いろいろと理由は考えられる。

 そもそもやり方が分からないし、基礎学力や収益にすぐ結びつくわけでもないし、

人の心を一律的に変えることに対する危機感もあるのだろう。


 ところが、ファンを作る戦略として、広告宣伝を行うのは定石である。

 経済的な競争を戦争と捉えれば、プロパガンダとそう変わりない。


 刷り込みは自由市場という戦場では当たり前に行われているのに、それに疑問を投げかける道徳教育は行われていない。

 道徳教育をもっと能動的に、「社会で人と関わる上でのフレームワークを身につけるためのワークショップ」と捉えれば、

経済の仕組みや、国による文化の違いを教え込むことは、至極まっとうなことだと思われる。


 私にとっては、心を作り変える手法も単なるフレームワークに過ぎず、

トレーニングすれば誰でも習得できるものである。


 それでもこの世の中には、感情や欲望をうまくコントロールできず、目先のことにとらわれ、長い目で見て大きな失敗を招く人が後を絶たない。

 それはそれで搾取する側にとっては都合が良く、義務教育は、低賃金でも倫理観に従い、パフォーマンスを発揮する良質な奴隷を作る仕組みになっている。


 だから、感情を揺さぶる甘い謳い文句に誘われる人も多いし、この手の意識高い人向けのコンテンツも蔓延るし、損する人で経済が成り立っていると言っても過言ではない。


 大切なのは、魅力的に思えるコンテンツをなるべく消費せず、

事態の中に魅力的なものを捉える感度を養うことであろう。



【環境という外界の表面】

 自己啓発でも私の言葉でもよく語られるが、

「自分を変える」だの「自分を棄てる」だの大層なことを抜かすが、具体的なことが掴めないのが実情だろうと思える。


 言葉を聞いて気持ちを切り替えられるなら、それほど楽なことはない。


 だが現実は何も変わらないのが常であろう。

 それが自然の摂理である。今までの生活をずるずると引きずる安定型を作るのが、生命の生存戦略である。


 そして、時代による環境の変化に取り残され、衰退して絶滅する種もある。

 ガラパゴスは海外の流れに取り残され、経済の発展とは関係のない文脈を築き退廃する。


 それはそれでいいだろうが、残念ながら山に籠もらない限り、経済は無視できない。

 法治経済圏に住まう私たちの環境は、政治とビジネスが作っているわけである。



 この環境に適合し、流れを味方につけたものが、リソースを最大限に活かせる。


 そしてこの環境は、決して深層で働くものではなく、表層に現れているものだ。

 私たちは肌身で経済の仕組みに触れ、ニュースを取り入れている。


 しかし、多くの人はそれを処理する術を持たず、無視してしまう。

 情報の価値は、あらかじめ外界にあるわけではなく、それを取り入れる主体との関係性によって決まるのである。

 つまり、主体がそれを活用することによって、表層は深層へと洗練する。



【心を深層で捉えるのではなく、表層に引きずり出す】

 ある誤解が、心を深層へやって届かないものにしてしまう。

 それは、心が、環境という外界と対峙する、内側の「私」であると考えることだ。


 違う。

 心は環境である。


 人は脳を自分のものだと考えているが、誰一人、思考をコントロールしたり、感情をオペレーションした人はいない。

 それは自分の思惑とはまったく関係のない、宇宙の一部である。


 本人の意図とは関係なく、人とのつながりを求め、人からの評価に一喜一憂するのは、環境との相互作用が起きているからに他ならない。

 その外界は、他人が構成しているわけではなく、脳が築いている。他の人が気にならないことを気にするなど、個人差が生じるのは、他人が与えたものではなく、脳という自然物が与えたものだ。



 自然をコントロールするのに科学が発展し、道具を用いたように、

心を思い通りにするには、理論の発展と技術が要る。


 自己啓発本が与えるのは大抵、理論に留まる。

 コンサルタントは、フレームワークを作って金を稼いでいるところがあり、

何か物事をすっきりとおさめて「なるほど」と思わせて、満足感を与えるようになっている。


 はっきり言えば、それで自分を変えられる人は、わざわざお金を払わなくても、自分の努力で何とかできる。


 そもそも優秀なのだから、支払いに対するコストパフォーマンスを考慮すればいいのだが、

自分の支払いを「正しかった」と正当化するため、過剰に満足するところがある。


 啓発本やセミナーは別になくても良い。

 Amazon Kindleを開いて、無料で読める『学問のすすめ』や『論語』をダウンロードすれば良い。


 3ヶ月、じっくり読んで、実践すれば、誰でも新しい自分に気づける。

 自己啓発本に書いてあることの本質は、今も大して変わらない。それは現在の日本こビジネスを作った、戦略の骨子とも言える。


 

 そして、私が用いた手法は、そうした啓発戦略とは一切関係がない。

 本質ほど浅はかなものはない。なぜなら、同じ戦略が時代をまたがって通用してしまうほど、事態には再現性があるからである。


 果たして、深層にある本質が、表層を形づくっているだろうか?

 いや、むしろ表層が本質へと形成するのではないか。そこにクリエイティヴィティが形となるプロセスがある。


 心を、表面より内側の深いところで働くものだと考え、届かなくしているのは何者か?

 心を隠して、心を変えられないものだと思わせている働きは、何であるか?

 心を表層で働くものだと考えないことによって、守られる存在は何だ?



 心を環境の一つだと捉えることを阻害するのは、この心そのもの。

 たった一枚の表皮を剥がせば分かることなのに、それに気づかせないようにしているのは、あなたの存在そのものである。


 まだその姿を引きずり出すのに材料が足りないなら、それを集める術を身につければよい。

 それが心を組み変える方法である。



【感触の天秤】

 ここで述べることは、感覚的なところがあり、字面だけ追っても何も身にならない。

 捉えるべきことは意味ではなく「感触」であり、必ず事態を頭でイメージして、何かを感じられるまで動いてみてほしい



 インプットしただけでは忘れてしまうので、必ずアウトプットの過程を経たほうが良いということは、よく聞くアドバイスだろう。

 これは、単なるインプットだけのときは、頭が働いている感触がなく、

アウトプットしようと頭を捻ることでようやく、神経が働いて感触が生じるためである。


 このとき何が起きているのか。



 物理的な脳について言及すれば、分泌物質の浸透圧が均されることによって、異なる二つの閉鎖系相互に動きが生じている。


 感覚に沿って言えば、別の事態どうしが近いものとして感じ取れるよう、つりあいを感じ取っている。


 この作用を私は「感触の天秤」と名づけた。

 進行しながら二つの事態を秤り、隣接する近さを感じ取れたところで、事態の一部をトレードし連動させる働きである



 例えば、頭の中の思考と、話す言葉は質が異なるし、書き言葉と話し言葉でも相違がある。

 頭でぼんやりと分かっていても、いざ言葉にしようとすると、難しいという感触を覚えた経験はあるだろう。


 このとき起きているのは、思考から言葉への変換である。

 頭で考えていたことと、つり合うような言葉を生み出している。

 このとき頼りにしているのが「感触」に他ならない。意識にとってこの感触だけが、神経が動くときの手がかりである。



 この感触をうまく感じとって、心を構成する複雑な次元をオペレーションしていく。

 コツが掴めると、自身の心だけでなく他人の心も感じ取れるし、

応用すれば、著者の意図を読んだり、アート分析に使ったりと、汎用性が高い技術である。


 というのも、どんな凡人でも天才でも、程度の差があれど、これを使っているし、

凡人と天才を分けるのも、感じ取れる領域の程度の差が決めているからだ。

【用語を覚えることは重要ではない】

 先日、会社の上司から指摘されてハッとしたのは、「難しい用語は捨てるべき」ということだ。


「若い頃は難しい言葉を使いたがるけれど、年取ってくると垢抜けて、飛びつかなくなる」とのこと。


 用語は、新しい概念を頭で捉えるために作るもので、それを生業としている人たちもいる。

 学問もだいたいそんな感じで、事態を細かく区分けして、物事の分別をスッキリとさせる。



 だが、重要なのは、事態を区分することではなく、事態を自らの行為で推し進めることである。


 上で述べた「感触の天秤」も、下で述べる「関数型思考」も、その用語の使い方を覚える必要などない。

 やるべきことは、″感覚的に使えるようになること″で、暗記することではない。


 文章の解釈は人それぞれで異なる。

 能力の使い方もそうである。


 どうか自分なりに感じ取って、応用してみてほしい。

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