雑感 2024/4/17 持てるものと落としたもの
ここ数日、これに関するポストが、私のタイムラインによく上がってくる。
要するに、あの紙袋は何なんだ?ということである。
前後の文脈を見ていると、ゴキゲン鳥をイメージしているのではないかという話が多くみられる。
私は東京のことは分からないが、2024年4月5日に公開された5人の写真も、どうも渋谷のようだし、インスタの2枚目は、明らかにゴキゲン鳥のメイクである。
中には、過去のMVをスロー再生して、目を皿にして紙袋を探しているという強者も見受けられた。でも、見つからないらしい。
普段、私はネタバレ大歓迎なので、いろいろな方の発言を見ながら、あぁそうか、などと感心しているが、今回は今のところ、それだ!と思う回答には出会っていない。
私は、見聞きしていないものがそこそこあるので、全部の情報を知っているわけではないが、だからこそ、自分で考えをめぐらせてみたい。
私がこの紙袋を見て以降、ずっと頭の中を回っているのはこれである。
何故かと言われても分からない。
「ピンとくる」とはそういうものだ。
かと言って、これのどこが紙袋なんだ!という問いには、全く答えられない。
なんとなく、紙袋は破れるものだと刷り込まれているのだろう。
だから、穴が開く。
ビニール袋に慣れ切った現代の私にとって、紙袋って不思議なもので。
破れやすいし、水に弱いし、中身は見えないし。
でも、空気を通すし、油を吸うし、じんわりと光を通す。
クラフト紙でできていたりしたら味わいもある。
その、ナチュラル感みたいなところが、温かみを感じる所以なのだろう。
じゃあ、その紙袋で松岡は何を表現しようとしているのか。
あの、くしゃっと口を閉じられた紙袋の中には、何が入っているのだろう。
彼らの夢か。
私たちの想いか。
重いものだろうか。軽いものだろうか。
大きさは、袋はあの大きさだけれど、でも、実体のあるものではないかもしれない。
その袋、どうするつもりなのだろう。
彼らが大切にしまっておくのだろうか。
誰かに何かを届けようとしているのだろうか。
いや。もしかしたら、中身は空なのかもしれない。
じゃあ、何が入っていたのか。
そして、なぜ、空になった袋を持っているのか。
また、何かを入れようとしているのか。
それとも、何かが入っていて、それを出した後なのだろうか。
よくありがちな、最後にいらなくなったものを入れて持って帰ってきたのだろうか。
なぜ、くしゃくしゃに口を閉じたのだろう。
きちんと折りたたんでもいいのに。
無造作に、ぎゅっと掴んだようにも見える。
だとしたら、そこまで大切なものではないのかもしれないし、ちょっと力が入ってしまっただけなのかもしれない。
松岡が考える、これの答えはあるのかもしれない。
それを彼が語ることもあるかもしれない。
もしかしたら、語らないかもしれない。
いずれであっても、彼の考えがどうであっても、私は私の解釈を。
私が考える、あの袋の中身。
そうだなぁ。
確かに、松岡が持ってはいるけれど、私は、あの袋の中に、私の彼らへの想いを入れておきたい。
私の想いは生きているから。ビニール袋じゃ、息ができなくて苦しい。
紙袋の中で、大きくなったり小さくなったりごそごそしたりする。
決して、外には出ていかない。
誰に何を言われても、私はそれを守り続ける。
すぐに破れてしまいそうな紙袋だけれど、だからこそ、大切に、大切に。
どこにもいかないように。
あ、でも。
私の本命は、「石ころ」である。
彼らと私たちは、同じ「夢」を胸に抱えている。
だから、夢の続きを、もう少し。
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