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2019年7月5日『ファンデミック』

丸一日経ったのに、まだぼんやりしています。
映画なり舞台なり、新しいなにかに触れたあとはいつもこうです。
映画よりも舞台のほうが余韻が残りやすいのは、生身の人間から伝わる圧のせいでしょうか。

マンガやアニメだって同じです。
「良い作品だと知っているけれど、確実にハマることがわかっているから迂闊に手が出せない」と仰る人がいますが、その気持ちはよくわかります。
本当に嵌まり込んでしまうと、日常生活に支障をきたすことがわかっているからこそ、あえて「沼」と呼ばれるようなものを遠ざけ、「そこそこ好き」くらいの好感度でおさまる程度のものを身近に手繰り寄せていくのです。

生活を守るためとはいえ、消極的で味気ないやり方だと思われるでしょうか。
流石にある程度の経験を積めば、身の破滅を招かない程度の距離感も、自らの熱量を意図的におさえる方法もわかってきます。
とはいえ、何事にも絶対はありません。

考えてみれば、人にせよ作品にせよ、何かのファンになったという経験がないような気がします。
あるいは、傍から見れば十分にファンといえたのに、自覚がなかっただけかもしれません。
逆に、ファンというか周囲を取り巻く環境が苦手だからあえて触れない、といったことは何度もありました。
確かに私には判官贔屓の気があって、「皆が応援するなら私はしなくていいや」という考えに傾きがちです。
これは「独占できないなら意味がない」というエゴイズムに起因する思考なのでしょうか。

自分が良いと感じたものを積極的に共有しようとする人もいれば、大事にしまい込もうとする人もいますが、私は完全に後者です。
対象が個人ならまだしも、商業的な作品やクリエイターなら、間違いなく共有してもらったほうが有り難いはずです。
いくら熱狂的なファンであろうと、1人の人間が生み出せる資本も熱量もたかが知れています。

ただ、口を噤むことが悪いことだとか、そんな風に思ったことはありません。
別に、ファンになったからといって、対象にとって(都合の)良いファンでいる義務が生じるわけではないでしょう。
それが対象のためになろうとなるまいと、誰かに害を成したり法を犯したりする範囲でなければ、愛情の傾け方まで指図される謂れはないはずです。

しかし、善悪ばかりが論われる世の中において、好きなものを好きなように好きでいるというのは、得難い特権なのかもしれません。


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昭良

占い師兼ライターです。

2019年7月の日記

2019年7月に書いた日記です。
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