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「ただ居るだけ」は仕事になるのか⑤先行事例(東畑開人)

こんにちは!新しい働き方LAB第3期生のねねです。
だいぶ涼しくなってきて、快適に活動できる日が増えてきました!

今回は、先行事例である東畑開人さんの『居るのはつらいよ』から得た気づきをご報告します。


◆『居るのはつらいよ』から得た気づき

私は、『居るのをつらいよ』を読んで、

「会計の声」によって「居る」が強制されてしまう

ということを学びました。

そこで、この自主企画(「ただ居るだけ」は仕事になるのか)では、

市場の金銭的価値基準にとらわれず、自由な「居る」が守られる場所をつくる

ということを目標にしたいと思いました。


▼「会計の声」とは

「会計の声」について、東畑さんは以下のように説明しています。

 会計の声は、予算が適切に執行されているのか、そしてその予算のつけ方そのものが合理的であったのかを監査する。コストパフォーマンスの評価を行い、得られたベネフィットを測定し、そのプロジェクトに価値があったのかどうかを経営的に判断する。

『居るのはつらいよ』p.317

つまり、「会計の声」とは、「予算に見合った価値を合理的に得られているのかを問いただそうとする意見」と言えるでしょう。
こうした価値や効率を求める声は、東畑さんいわく、「ただ居るだけ」との相性が悪いのだそうです(詳細はこちらの記事をご覧ください)。


→市場の金銭的価値基準にとらわれない

「会計の声」と「ただ居るだけ」の相性の悪さについて学んだ結果、
この自主企画(「ただ居るだけ」は仕事になるのか)では、
「会計の声」、つまり、市場の金銭的価値基準にとらわれないことを大事にしたいと考えるようになりました。

具体的には、この自主企画における「仕事」は、
「お金を得るための職業」ではなく、
「何かを作り出すための行動」と広く定義したいと思います。
そうすることで、市場の外側の、新たな価値を見出す可能性を残すことができるのではないでしょうか。


▼「居る」が強制される「アサイラム」とは

「アサイラム」について、東畑さんは以下のように説明しています。

 「アサイラム」とは社会学者のゴッフマンが用いた用語で、「全制的施設」と訳される。というと余計に意味がわからないかもしれないが、ようは収容所とか、刑務所とか、あるいは古い精神科病院のように、そこに「いる」人を画一的に管理する場所のことを言う。

『居るのをつらいよ』p.303

つまり、「アサイラム」とは、「閉じ込めて管理するために、居るを強制する場所」と言えるでしょう。

一方で、この「アサイラム」と元々は同じ言葉だった、表裏一体の存在が「アジール」です。
「アジール」とは、「罪人が逃げ込み庇護される避難所」、「居るを支える場所」のことを意味します(詳細はこちらの記事をご覧ください)。


→自由な「居る」が守られる「アジール」

「居る」には、それを強いる「アサイラム」と、それを支える「アジール」があることを学び、
この自主企画(「ただ居るだけ」は仕事になるのか)では、自由な「居る」が守られる「アジール」をつくることを目標にしようと考えるようになりました。

具体的には、「ただ居るだけ」会は、
会の主催者側も、参加者側も、
居たいときだけ居られて、居たくないときは勝手に退出してもいいコミュニティにしたい
と思います。

「何もせずに居られたか」や「何分そこに居られたか」を同一の指標ではかってしまっては、閉じ込めて管理することにつながりかねません。
「ただ居る」レベルだとか、時計ではかれる時間だとかに縛られず、
「ついつい何かをしてしまった」とか、「あっという間だった」とか、
もっと各々の心身の感覚に自由に「居る」ことが、本当の「ただ居るだけ」を可能にするのではないでしょうか。


今回は以上です。
最後までご覧くださりありがとうございました!

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