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自作「居酒屋から」~「口実」評
① 居酒屋から(50首)
https://twitter.com/mizunomi777/status/1091750237696253952?s=20
2018年の笹井宏之賞に応募した50首連作。
このころ服部真里子さんが講師をつとめていたNHK文化センターの短歌講座に通っていたので、その宿題として詠んだ歌がほとんど入っている。たとえば〈なにそのリュック コンセントじゃん笑 けれどもう化粧
いない犬が散歩を嫌がるけど外に出る いない犬だから(乾遥香)
いない犬が散歩を嫌がるけど外に出る いない犬だから
乾遥香「永遠考」(『ぬばたま 第四号』、2019年)
「犬」はいないのだろうか?
歌によると、犬はいない。「いる犬」が散歩を嫌がっているなら外に出ることをためらいもするけれど、「いない犬」なら何もないので外に出る。そうです、この話している人が外に出ただけです。
いや、でも「犬」、いるよね?
だからいないって言ってるでしょ、と諭された
ジュンク堂でおはようのキス 信じてる 水だけで生き延びる物語(初谷むい)
ジュンク堂でおはようのキス 信じてる 水だけで生き延びる物語
初谷むい「おはよ、ジュンク堂でキス、キスだよ。」(『ぬばたま 創刊号』、2017年)
朝、ジュンク堂で待ち合わせてキスと読んでもいいんだけど、「おはようのキス」は寝起きにするイメージがある。ということは、ジュンク堂で寝て、ジュンク堂で目を覚ましたのだろうか。怖くなるほどたくさん収められている、今後も大半を読まないであろう本に囲まれな
てふてふのてんぷらあげむとうきたてば蝶蝶はあぶらはじきてまばゆ(渡辺松男)
てふてふのてんぷらあげむとうきたてば蝶蝶はあぶらはじきてまばゆ
渡辺松男『蝶』(ながらみ書房、2011年)
蝶々をてんぷらに揚げようという発想には納得感がある。
蝶々をてんぷらにする文化が、日本のどこかにあるのかは知らない。念のためグーグルで検索してみたところ「蝶々」というハンドルネームの人がてんぷら屋さんを讃えている口コミが出てきた程度なので、ないか、あるとしても一般的ではないの
心底と言うとき急に深くなるこころに沈めたし観覧車(大森静佳)
心底と言うとき急に深くなるこころに沈めたし観覧車
(大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房、2018年)
ほんとうに『カミーユ』の破壊力はすごい。一人だけ5トンのバットでホームラン連発しているみたいだ、大森静佳という歌人は。僕がピッチャーだったら逆に笑っちゃうくらい得点を重ねてくる。この歌も場外だ。
日常語と化してしまっているけれど、その正体は呪文である、という言葉はいくらもある。ふつうに会話中
輪ゴム噛んだらだんだん味がするようなそんな散歩で続けた未来(武田穂佳)
輪ゴム噛んだらだんだん味がするようなそんな散歩で続けた未来
武田穂佳「家族の休日」(『かばん』2019年9月号掲載)
輪ゴムくらい好きに噛めばいいと思うけど、あんま短歌の冒頭で出会うとは予想していなかったな〜〜 複数の人の作品が載っている冊子に、読み進めるたびに誰かがなにかを言っているような、混みあった路地のような印象をわたしは抱いていて、とすれば連作の一首目はその路地ですれ違う人の「あ、どう
きみの書くきみの名前は書き順がすこしちがっている秋の花(阿波野巧也)
きみの書くきみの名前は書き順がすこしちがっている秋の花
阿波野巧也「凸凹」(第一回笹井宏之賞 永井祐賞受賞作)、『短歌ムック ねむらない樹 vol.2』、2019年)
調べてみたら意外と、そのまま人名になりそうな秋の花は希少でした。藍とか、菊とか、桔梗とか、紫苑とか。いずれにしても書き順とあるので、たぶん日本の、漢字の、雰囲気的には下の名前なんだろう。
書き順がすこしちがっていることが、
イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く(初谷むい)
イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く
(初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』書肆侃侃房、2018年)
最高純度の恋の瞬間を掬い取った、初谷むイズム溢れる一首である。
初谷むいは、好きな人はえらい前のめりで好きだし、嫌いもしくは興味がない人はとことん嫌いもしくは興味がない、というパクチーとかマーマイト的な歌人だと思う。口に合うか否かはともかく、癖の強
悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ(睦月都)
悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ
睦月都「十七月の娘たち」(第63回角川短歌賞受賞作、角川『短歌』2017年11月号掲載)
あ、終わった――。
全部が終わる夜があって、その数時間後、全部が終わったことを理解する朝が来る。
悲しい悲しいと思っていてもうこれ以上に悲しいことはないと思いきや、翌日には、えっそういう悲しさっていうのもあるの? と予想を軽く超えられる。
感情を問えばわずかにうつむいてこの湖の深さなど言う(服部真里子)
感情を問えばわずかにうつむいてこの湖の深さなど言う
服部真里子『行け広野へと』(本阿弥書店、2014年)
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……423.4m」
「え?」
「この湖、423.4m」
それが深度であることはどれくらい伝わるのだろう。
こういう歌を仮に「脚本系」短歌と名付けるとしたら、この歌は脚本系の中でも宝石のような一首だ。劇のクライマックスでこのやり取
あなた、すごく日あたりのいい水たまり ねえ、なんでそんなにやさしかったの?(石井僚一)
あなた、すごく日あたりのいい水たまり ねえ、なんでそんなにやさしかったの?
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』(短歌研究社、2017年)
なんで、と問うているけど、ほんとうは聞くまでもなくわかっているはずだと思う。一般にこの歌に詠まれているような「やさしさ」は、あっと云う間に霧散してしまう性質のもの、一瞬だから許された嘘みたいなものだという認識が、この歌の根底にはあるような気がする。
吊り橋がどうとか話してたら目の前でワンバンして死ぬくじら(伊舎堂仁)
吊り橋がどうとか話してたら目の前でワンバンして死ぬくじら
伊舎堂仁『トントングラム』(書肆侃侃房、2014年)
くじらが大好きだ。くじらはめっちゃいい。理由はでかいからだ。くじらはすっごくでかい。最大種のシロナガスクジラだと三十余メートルに至るらしいけど、たぶんもっとでかいと思う。一キロメートルくらいあっても全然ふしぎではない。
そのくじらが死ぬのだから、一大事だ。それを目撃するのだから、き