悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ(睦月都)

悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ  

睦月都「十七月の娘たち」(第63回角川短歌賞受賞作、角川『短歌』2017年11月号掲載)  

 あ、終わった――。
 全部が終わる夜があって、その数時間後、全部が終わったことを理解する朝が来る。
 悲しい悲しいと思っていてもうこれ以上に悲しいことはないと思いきや、翌日には、えっそういう悲しさっていうのもあるの? と予想を軽く超えられる。それが何回か繰り返されるともう途方に暮れちゃって、もはやわが身体に悲しくない部位は存在しません……、という、そんな時期がついにあなたにも訪れてしまった。
 こうなると日々は仄暗く続いてゆく下り坂だ。坂に沿って電燈は灯っているんだろうけど、もう真っ灰色に染まったあなたの視界には、それが灯りなのかどうかを判別することはできない。前までは、それは時々雨降りを伴いつつも、普通の街道だったはずなんだけど。どこで違う道に入ってしまったのだろう。朝グエグエ云いながら起床して、白黒の坂道を下り、夜来たりなば眠る、この日々は暫し終わらない。昨日も朝グエグエ云いながら起床して、白黒の坂道を下り、夜来たりなば眠ったのに、今日も朝グエグエ云いながら起床して、白黒の坂道を下り、夜来たりなば眠らざるを得ず、そして明日も朝グエグエ云いながら起床して、白黒の坂道を下り、夜来たりなば眠るのだろう。そしてある夜からいよいよ眠れなくなる。
 眠れないって何だよ、明日はどうするんだよ、平日だぞ、寝ろよ、というけたたましいようなか細いような声が響くその夜、顔を洗おうと洗面台に向かったあなたは、自分の側頭部が腫れ物のように膨らんでいることに気づく。というか、あぁついに見てしまった。とか考えている自分に気づく。
 ずっと、何かを脳に身ごもっている感覚はあったはずだ。でも、よくわからないし考える余力もなかった。目を背けているうちにそやつは風船のように膨らんでいったらしい。なんだか腫れの内部でぐるぐる蠢いているのがいる。気持ち悪い。なんだか泣けてくる。泣ける。ほんとに。なんでこんなことに。眠らなきゃ。糞糞糞。
 そうやって眠れないまま泣くでもなく泣き続けて、夜は明けていってしまう。やばい。明日どうしよう。まだ泣いている。まだ泣いている。まだ……
 そうしてしばらく泣いていると、こめかみの腫れのあたりでぷちっぷちっという音がする。あなたが脳に孕んでいた何かは、ついに孵化したようだ。こめかみから涙腺、鼻を通過して、喉のほうにぬるっと流れ込んでくる。ああ吐く。おゑっ、おゑっ、とえずいてから、あなたは嘔吐する。
 吐瀉物の代わりに、唾液を引きながらあなたの口から生まれ出でたのは、うすあおく発光する魚の骨格だった。見渡す限り灰色の世界の中で、華族の猫が食べた後みたいにきれいな魚の骨は、唯一青色をして、あなたの部屋の虚空を、そこを海だと思い込むかのように泳ぎまわる。そいつしか飼っていない水族館に来たみたいだ。水族館の客よろしく、あなたはボケーっとその魚のなめらかな動きを眺めている。その骨の見事でしなやかな動作……。
 時計を見ると朝の5時である。うすあおくほの明るい魚の骨格が漂う灰色の部屋に、カーテンの隙間から灰色の朝日が入り込んでいる。あなたが積み上げてきた諸々は、この景色のような終わり方をするのだった。  

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