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自然とアタシ

出張で愛媛県松山市に来ている。
俳句の聖地、松山と来たら道後温泉だ。今日はそのメッカに宿を取っている。つきなみな観光名所もなんだかなあ、と思っていたので「夜のしまなみ海道」を渡りたいと思った。建築家、隈研吾が設計した大島 亀老山には展望台があるという。近未来的な建築の展望台は360度パノラマの眺望。昼間に来たらもっと開けた明るい世界があったんだろう。が、真っ暗な闇の中、誰もいない展望台を登った。そこは暗い洞窟みたいで、iPhoneの懐中電灯がなければ足首をくじいてしまう。展望台に上がると、今治の人の営みが見えた。

自然とアタシ、を最近よく考える。仕事をしていても、食事をしていても、家族といても、原稿を書いていても「これは自然なのか」とおもう。
自然とはnatureとの対峙の意味だけでなく、自分にとって「自然」かどうか。
スムーズに、地続きにこの行いが「自然」かどうか。

こんなことをしている自分がしあわせなのだろうか。
今していることで、余計にややこしくなっていかないか。
大切にしたい人のために、自分はなにかやっているのだろうか。

そんなことを、音もない小さな光の空間で思った。
ひとりぼっちになることで、ひとりじゃないことを感じて。

真っ昼間に来ていたら、もっと違った感動があったんだろうなあ。
あそこがあの場所で、海の凪が美しくて、柔らかな風が吹いていて。
夜のこの展望台はコンクリートの冷たく無機質な無表情が、歓迎されない姿勢を全面に出している。突っぱねられた空間を抜けたあとに待っていたのは小さな光で、それはぼくの20代の人生みたい。展望台に着くまでの亀老山はくねくね曲がった山道だった。頼りないマツダの軽自動車で、バーバー言いながら小さなエンジンで登ってた。小さくたってへっちゃら。ガソリンはまだ残っているんだ。

あったか三崎に比べて、愛媛はとっても寒い。
ふわふわの今治のタオルに包まれて眠りたい。

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