②-1 インタビューの話をする前に 〜長崎と佐賀編〜

前回の記事では、インタビューの実践しようと思った経緯を書いた。すぐに始めようと思えば始められる。でも、さすがに知らないことが多すぎる。今は、ミシマ社から出版されている木村俊介さんの『インタビュー』という本を読んでいる途中で、少し時間がかかると思う。Nさんから取材の話が出た時に、すぐにこの本が頭に浮かんだ。普段から暇なときにはよくブックオフに行っては安くて面白そうな本を買う。多くは部屋に積ん読状態で、『インタビュー』もその内の一つだった。本を読むのは好きだが、ほとんどは面白そうだからとか、デザインや制作に役立ちそうくらいの気持ちでパラパラと読む、というか見ることが多い。今のように明確な目的、それも長期的な視点で本を読むことはかなり久しぶり、というかもしかしたら初めてかもしれない。結構ボリューミーなので、この本についてまとめるのはまたの機会にしたいと思う。

空っぽだからこそできること

この記事では、「何のためにインタビューをするのか?」について、将来の話を交えながら書きたいと思う。Nさんと話をしたことで、インタビューの実践が今の自分に必要であり、かつ性格的にもできそうだと感じた。かといって、インタビューの経験が豊富にあるわけではないし、できそうだと思った根拠も正直ない。ただ単純に、楽しくやれそうだと思ったのである。人の話をきくのは好きだし、わりと誰とでも話せる性格でかつ、謙虚さというか、礼節はわきまえているつもりだ。(自分でここまで言うのは恥ずかしいが、本当にそう思っていないと言わないので、実際そうなのだと思う)そして、僕は自分の考えていることや好きなこと、少しかたく言えば、思想やスタイルが定まっていない。まだ定まっていないのではなく、たぶんこれからもずっと、あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら悩みながら生きていくと思う。でも、そういった状態のほうがインタビューする上では好都合なのではないかと思う。インタビューはする側(インタビュワー)とされる側(インタビュイー)がいて始めて成り立つが、やはり主役はインタビュイーだ。インタビュワーの考えや思想が凝り固まっていると、インタビューによって相手の話を引き出すつもりが、いつの間にか自分の想定した答えや結論に相手を導こうとしてしまいかねない。そういう意味でも、インタビューは今だからこそやるべきだとNさんは言ってくれたのかも知れない。

夢はない。場が欲しい

話を戻すと、何のためのインタビューか、ということである。僕は今の所、というか多分これからも「〇〇になりたい」という職業的な夢、というか目標を持つことはない気がする。悲観的な意味ではなくて、むしろ今では割り切って「その方がいいや」と思っている節すらある。しかし、その代わりにというか、強く思っていることは、「場」が作りたい、欲しいということだ。多分かれこれ1年くらいずっと思っていて、だんだんその思いが膨らんできている印象がある。元々やりたいことや目標がコロコロ変わるタイプ(これは少し改めないといけないとは思っている)なので、一年も続いていること自体が本気なのかも知れないと思わせてくれる理由だ。そして、この思いをいろんな意味で補強してくれ、持続させてくれた出来事が去年の夏に立て続けに起きたことも大きい。

長崎のKさんと佐賀のブラザーズ

7月の終わりがけにドイツから友達(A)が日本に遊びに来ているということで、福岡まで来てくれた。ほぼ3年ぶりで、ちょっと複雑な関係なので会うのが嬉しい反面、会ってどうしたものかとちょっと心配だった。実際はお互いけっこうさっぱりしていることもあって、普通に楽しかった。丁度山笠の時期だったのでそれを見たり、美味しいごはんを食べたりして過ごした。そして遠出もしてみたいということで、長崎と佐賀に行くことになった。まずは長崎に行き、オランダ坂あたりをブラブラと散歩しながらランチを食べる場所を探していて、なんとなく目に入った少し年季の入った中華料理店に入った。そこはお母さんと息子さん(Kさん)で営んでいて、アットホームでとても良かった。ドイツから友達がきてるんですよーと話をするとものすごく嬉しそうにしていて、なんでも少し前までドイツ人で近くの企業に駐在で来ていた人と仲が良かったらしく、ドイツに遊びに行ったこともあるらしかった。話をしているうちに、「時間があるなら長崎を案内してあげるよ」と言ってくれて、軍艦島が見える岬と原爆資料館に連れて行ってもらった。Aは元々写真が好きで、一度は商業カメラマンのような仕事に就いたらしいのだが、今はアート全般に興味が広がり、大学に通っている。岬の近くの浜辺でAと歩いていると、急に私の動画を撮ってと頼まれ、スマホを構えると、落ちていた枝を拾って何やらドイツ語の歌を歌いながらステップで歩き出した。とりあえずそれを追いかけながら動画を撮り、また二人で歩いているとテレビの取材陣らしき人たちが現れて、あんまり詳しくは覚えてないが色々聞かれた。変な踊りをする国籍が分かりづらい顔立ちの子と、ノッポのメガネという組み合わせはかなり奇妙だったのだと思う。その後でKさんに車で原爆資料館に連れて行ってもらい、この後佐賀に行く予定なのだと伝えると、なんと佐賀まで送ってくれると言ってくれた。Kさんは元々トラックの運転手だったらしく、運転は好きみたいで、「高速なら1時間もかからんから」と言われて、それではとお願いした。佐賀までの道中、疲れたのかAは眠ってしまったので、Kさんと二人で色々話した。「今日初めて会ったのに、こんなに良くしてくれて本当にありがとうございます」というと、お返しなんだと言っていた。自分もドイツに遊びに行った時に、長崎に駐在で来ていた友達に何もかも良くしてもらった。そのお返しなのだと。なんというか、自分の運の良さに自分でもびっくりしていた。他にも日本はサービス過剰だとか、危ない人も中にはいるから気をつけないとだとか、そういう他愛もない話をしていた。色んな話をする中で、Kさんのいう運転が好きな理由にもすごく共感した。

そうこうしているうちに、目的の旅館の前に着いていた。Kさんと別れて、旅館に入った。また会えるような気がしてというか、また会いたいと思っていたので、惜しい感じではなかった。また長崎行きますね、くらいの感じ。佐賀で泊まった旅館は、前に一度泊まりではないがイベントで来たことがあって、泊まってみたいと思っていた。嬉野という温泉街にあり、歴史もある旅館なのだが、今の社長さんが若い方ということもあって、面白い取り組みをされている場所だ。温泉からあがって脱衣所をでると広いバーラウンジのような空間がある。ただ、いわゆる夜にいく雰囲気のあるムーディな感じではなくて、本やCDがたくさん置いていてのんびりできる感じの場所だ。そこの本やCDのセレクトが抜群に素晴らしくて、そのためにこの旅館にしたようなものだ。旅館の受付近くにはまた別でカフェスペースのようなものがあって、そちらには雑誌と膨大な数のレコードが置いていて、聴くこともできた。一泊して、翌日の朝はそこで好きな音楽をかけながらのんびりした。チェックアウトしたあと、バスでJRの駅までいってそのまま電車にのって福岡に帰る予定だったが、次の電車まで2時間近くあったのでランチを食べることにした。駅周辺はかなり閑散としていて、人はあまりいなかった。ランチをやっているところも少なそうだと思って歩いていると、なにやら面白そうな路地を見つけた。入ってみるとドレッドヘアの兄ちゃん、しかし顔は無茶苦茶に優しい兄ちゃんがいて、なんでも南米の料理を出しているらしい。この辺りのことを聞いていると、兄ちゃんとその友達2人の3人で一軒家を借りてそれぞれ飲食、アパレル、革細工という違った商売をしているらしい。あとの2つも営業していたので見ていった。アパレル屋さんでは安くていい色のTシャツがあったので2枚買った。3人共とても素敵な方たちで、しかも仲良い友達同士で集まって好きなことをしている。なんていい生き方なんだろうと思った。

わずか一泊二日の旅行でこんなにいい人たちに出会えて、めちゃくちゃ充実したなぁと思っていると、帰りの電車でAが何だか感心したように言ってくれた。

「あなたは本当に素敵な場所を見つけるのがうまい。それに、人とすぐに仲良くなる。それは才能だよ」

最後の「才能だよ」は言われてなくて、自分でそう脳内変換しただけかも知れないが、そう言われているような気がしたことは確かだ。

インタビューの話をするつもりが、長崎と佐賀の話でかなり長くなってしまったので、このくらいにしておく。次回は②何のためのインタビューか。 〜タイとカンボジア編〜 である。なかなか肝心のインタビューと将来のビジョンの話ができないけど、それに繋がる話なので省略はできない。


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