④モチベーションの話 〜中学と高専編〜

前回までの①〜③、合計5本の記事を通してこれからのビジョンとそれにかける思いというか、下支えになっている経験を書いてきた。今は木村俊介さんの「インタビュー」という本を読んでいる最中で、ようやく半分まで読んだところだ。所感としては、間違いなく今読むべき本だと改めて感じたし、これからもきっと色々な場面で参考にすることになる大切な本になりそうだ。決して上辺だけのノウハウや、インタビューをする上での手順や知っておいたほうが良い知識といったプラクティカルなことが並べたててあるわけではなく、もっと広く、深いところでインタビューという道具、体験が持つ力のようなものを筆者の豊かな経験を元に語られている。かつ、インタビューをする上での最低限かつ普遍的な常識も同時に知れるという点で、本当に優れた本だと思う。例えば、一時間のインタビュー時間だと、話すスピードにもよるが、概ね1万字から2万字の文量になるといった具体的な数値を伴った事実は、これからどういう媒体で発信していくにせよ知っておいて損はないし、何より知らなければインタビューそれ自体を設計しづらいからとても助かった。

「知識欲」という新たな欲求

さて、書籍「インタビュー」については近いうちに自分が内容を反芻するという意味もこめてこのマガジンで記事にしたいと思っているが、今回はモチベーションの話をしたいと思う。モチベーションを別の言葉で言い換えるなら欲求、欲望であり、目的意識のない最も深いところにあるものである。ここでいう目的がないというのは結構大事なことで、人は誰だって程度の差こそあれ、理由はとくにないが無性に追い求めているものがあると思っている。その一番深いところにある欲望を満たすためにどんどん別な、より具体的な目的をもった欲求が生まれると思っている。僕の場合の最も深い欲求は「知識欲」だ。人の三大欲求は「食欲」「睡眠欲」「性欲」で、ここに「知識欲」はない。多分、この三大欲求は人を自然界の動物、つまり霊長類ヒト科として捉えた時のもので、ある時点から食物連鎖の頂点に立って以降、文化的かつ社会的な生き物として新たに生まれた欲求の一つが「知識欲」だと思う。他に例を挙げるとすれば「創作欲」などがあるだろうか。ちなみにこの辺りの話はとくに何の裏付けも取っていない僕の持論なので、納得できなければ聞き流してほしい。

話を戻すと、僕にとって何かを知りたいという欲求、なぜという理由や根拠はジャンルや領域、文化圏や人種を問わず知りたいのである。理由はなくて、ただ知りたいのである。理由があるとすれば、知らないからだ。何かをつくるためとか、何かを解決するためとか、そういった目的めいたことを完全に欠いた状態で、ただ単純に知ることを求めている。ここで、過去の経験を踏まえながら、なぜ自分はそうだと思うに至ったのかを説明する。

知るだけで満足できていた頃

中学まで話は遡る。当時の僕は部活をろくにやっていなくて、テレビゲームなどのエンタメ目的の遊び以外で熱くなれるものが一切なかった。そんな中でも、勉強だけは特に好きだったわけでないが、苦ではなかった。今から考えてみると、勉強(特にこの時期のテストや受験目的の勉強)は相手のいない自分だけで完結する世界だし、何より勉強すればしただけ、新しい何かを知ることができた。一瞬前の自分より知識欲が満たされた状態になれたのだ。そんなわけで特に他にやりたいこと、やることも無かった少年Aは、宿題をきっちりやり、分からないところは分からないという状態(知識欲が満たされていない状態)が我慢ならないのでさらに勉強するというなんともラッキーな好循環の中で勉強していた。そして受験が迫った3年生の夏、中学時代をあまり良く思っていなかった少年Aは、自分を知る人がいないところがいい、そして丁度反抗期だったこともあり進学先を県外の高専に決めた。他にも選択肢はあったが当時は知らなかったし、多少美術やデザインに興味があったことと、当時の学力を考えての選択だった。進学してからの2年間は、県外からきた田舎者の意地を見せるべく中学の時を上回るモチベーションで猛勉強した。中学から高専の2年までの5年間は単純に知らないことを知ることが楽しかったのだ。だから自然と努力できたし、結果的にクラスや学年の中でも良い成績を保てていた。ただ、高専というのはどこもそうだと思うが、なんだか化け物みたいな人が多く、特に勉強している素振りはない(実際していないとも思う)のに数学だけ異常にできるとかそういう人が多かった。そういう天才は本当に腹が立ったが、とにかく時間をかけて猛勉強することで自我を保っていたのだと思う。しかし、3年生の時にタイへ留学したことがきっかけで大きく変わってしまう。

目的がないことを知った

タイでの怠惰な生活が、単純に勉強する習慣や体質を弱めてしまったことも事実だ。現地の学校では、なにせ言葉がままならないので勉強しようにもできない。それに加えて、高専は寮生活で、勉強する時間が定められていたりして、今から考えるとかなりストイックな生活を強いられていたから弱体化は顕著だった。帰国後、すっかり怠けてしまった生活に追い打ちをかけるように一気に授業内容の密度が濃くなり、少なくない数学的、理系的センスが求められるようになり、時間をかけるだけではどうにもならないことが増えた。同時に、建築学科だったので専門科目である製図や構造力学といった授業も高度化し、この時、建築学科へ進学した理由がないことに長い間目をつぶってきた自分を認めた。成績はみるみるうちに下がるけど、周りをみると建築学科に対して何らかの目的意識を元に入ってきた人たちは、3年生を堺に専門科目が増えたことで楽しくなったということを言っていた気がする。「僕は一体何がしたいんだろう?建築ではないんだろうか?何が得意なんだろう?何が好きなんだろう?」そんなことばっかり考えるようになっていた。無目的でも勉強が楽しかった頃と比べて、今の自分には目的がないことを知り、周りと比較することで自分も目的を探そうとするけど、見当たらなくて余計にブルーな気持ちになる。そんな悪循環が残りの高専3年間だった。ただ、そんな僕でも学校をやめるという選択をしなかった、思いもよらなかったのは、何よりも寮生活が楽しかったからである。これ以上高専の寮生活の話をすると永遠とできてしまうのでここではやめておく。

「総合大学」

そして5年生を迎えて進学か就職かとなった時、僕は迷わず進学を選んだ。建築学科を出た先にある就職先は自ずと建築関係の仕事が多くなってしまうので、一度建築ではない世界に出たかった。かといっていきなり文系の教育学部だとか文学部だとか、そういうところに行けるわけでもなく(というか当時はそういう学問体系や領域すら知らなかったし、大学というのがどういう場所なのかも、そんなによく分かっていなかった)、自然と建築から派生した学部を持つ大学に絞られた。なおかつ、あんまり親に負担をかけたくなかったので国公立大学で面白そうなところを探していたところを見つけた。それが九州大学芸術工学部だった。この時、もちろんデザインというキーワードに惹かれて決めたという部分もあるが、それと同じくらい魅力的な言葉があった。それが「総合大学」である。しかし実際入学してみると、芸術工学部はもともと九州芸術工科大学という別の大学で、九大に統合されたあともキャンパスは変わらずだったので、そこまで総合大学ならではの恩恵は受けられなかった。ただ、大学院ではデザインとは少し違った別な専攻に進んだおかげで、いくつか面白い授業も受けることができた。

ここまでで結構な文量になってしまったので、大学から大学院にかけての話は次の記事で書くことにする。


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