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数年後の私へ

いま、私が抱えている不安はあまり共感を得られないらしい。
まあたしかに、逆の立場であれば私もよくわかんないって思うだろうし、心が不安定な時期だったら「自慢か?このやろう」と攻撃的な気持ちになっていたかもしれない。

けど、いつかの自分が読んで「まだまだこの時は青かったんやな」と思えるように、この気持ちを残してみることにした。

厄介なのは、別に悩んでいるわけではないということ。ただ、その感情がふと心を掠める瞬間、私はどうしようもなく孤独になってしまうのだ。

直感でわかる。
これは何をどうしようと解消されないものなのだと。そうして静かに受け入れながら、寝つきの悪い夜を過ごす。

私は何者になっていくんだろう。
何者かになりたくて一人東京に出てきたけれど。
私の求める何かがここにあるのかどうかは1年半経った今でもよくわからない。

最近の私はおおよそ充実しているように思う。
会社はそこそこ楽しいし、声の仕事でそこそこ声が掛かるようになってきて、そこそこ忙しい。

どの仕事も大切で、かけがえのない出会いに心から感謝している。
正直、こんなに幸せなことはないと思う。

こっちの仕事とあっちの仕事、そしてプライベート。両立は今でも難しいと感じているけれど、疲れた時の息抜きや自分をご機嫌にさせる方法を知り、ジェットコースターみたいな感情の起伏に心が支配されることも少なくなった。

それでも。
いや、だからこそ。

腹の底から突き上げるような野心が、何が何でも手に入れてやるという執念が、今の私にあるだろうか。

もちろんないわけじゃない。
東京で成し遂げたいことなんて山ほどあるんだから。だけど、真っ直ぐに突き進んでいるのかと問われると、ちょっと自信ないかも。そんな感じ。

果たして私は私が望む未来に近づいているのだろうか。私は今、過去の自分が望んだ未来を生きているのだろうか。そもそも私が憧れてたアナウンサーってなんだったんだっけ?

ぐるぐる、思考は巡る。

それでも私が出せる結論は、
結局いつも1つしかない。

目の前の仕事を1つ1つ丁寧に誠実に取り組むこと。自分のアイデンティティなんて、個性なんて、そんなものきっと一生かかっても自信を持って言葉にすることはできないだろうけど、確信していることが唯一あるとしたら、誰かが喜んでくれることにこそ意味があるということだ。

依頼してくれた人や、例えば自分がMCをやっているイベントに参加してくれたゲストとか、そういう関係者が笑顔になってくれる瞬間が私はとにかく好きだ。

損得や、いいねの数や、一般的にみたその仕事の大小なんかより、その日一緒に仕事をした人とありがとうを言い合って、また一緒に仕事したいねと連絡し合うあたたかさが、私にとっては理由だし、希望だから。

時たま思いがけない方向から嬉しいフィードバックをいただけるのも、色々やっているからこそだろう。


それでいいじゃないか。
…ほんとに?
いやここに嘘はない。
…それでも。

そんなふうに悶々としてしまうのは欲張りなのだろうか。

そうしてまた夜が明ける。
忙しい1日が始まる。

焦らずにいこう。
信じるしかないのだから。

未来の私は満足してるといいな。
いつかこの文章を愛おしそうに読みながら、答え合わせをしてくれることを願う。

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