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8年前のあの日 そして振り返り

ロンドンはまだ3月11日があと2時間ほど残っています。

8年前の今日といえば、言わずもがなあの日であります。

8年前、私は日本におらず、語学留学と称したバカンスに出かけておりました。

日本から1日かけて飛行機を乗り継ぎ、マルタ島という地中海の真ん中におりました。

まさか、あのようなことが起こるとはいざ知らず。。


思い起こせばあの日、私はいつも通り語学学校に行きました。

当時は全然英語が喋れなくて、みんなが話していることの半分も理解できていない状況だったように記憶しています。

そんな中、ロシア人のジャーナリストのクラスメイトがBBCのネットニュースを持ってやってきたのです。

「オリビア!東アジアがたいへんなことになっている!」と。

おそらくBBCの速報もまだ正しい情報をキャッチできていなかったのでしょう。

そこには、東シナ海で大地震と書かれているのが確認できました。

欧米の人たちは日本と中国の区別もつかないので、そんなに大慌てすることじゃないよと笑っていました。

午前の授業が終わったあと、いつも通りカフェでランチを食べようとしていたら、生徒たちがテレビに群がっています。

それをぼーっと見上げた私は、「あーハリウッドの映画か何かかな?」と思ったのが正直な感想でした。

しかし、ほとんど聞き取れない英語のアナウンスに耳を傾けると、英語訛りではあるもの聞き慣れた地名が聞こえるではありませんか。

「フクシマ、ツナミ」

はっと我に返り画面を凝視すると、そこは紛れもなく日本でした。

心拍数がどんどん上がっていくのがわかりました。

一体。。何が起こっているの?


情報がまだまとまらない中の速報だったため、詳しい情報が一切わかりません。

とにかく家族の安否が知りたくて電話をしたのですが、電波が混み合って繋がりません。

我が家は関東大震災の時の震源地といわれているところからも近くかったので不安でなりませんでした。

それでも電話を掛け続けて、ようやく家族全員と話ができて、我が家は怪我人もなく食器が何枚か割れたくらいで済んだとのことでした。

ただ、この先の食べ物の不安や停電、原発のことなど、わからないことだらけでまだまだ安心はできません。

そんな中、母の言葉に親の愛情というものを感じました。

「オリビアは外国にいてくれてよかった。オリビアはついてるから。」


ホームステイ先に帰宅してからは、ホストマザーがBBCのニュースをつけっぱなしにしてくれました。

BBCはこの時、ほとんどの時間を日本のニュースに割いてくれていました。

ヨーロッパでもリビアの情勢が不安定で難民がマルタにも流れ込んできていた時期です。

それでも、日本の大地震のニュースをトップニュースとして扱ってくれていました。

街を歩いていても、日本人とわかると「大丈夫か?」と声をかけてくれます。

本当にちょっとしたことだけど、どれほど勇気付けられたことか。。

語学学校最後の日、ロシア人のあのクラスメイトが声をかけてくれました。

「オリビアのいいところは優しいところだから、そのままで大丈夫。」

英語はちっとも話せなくて、クラスメイトと打ち解けられた気はしていなかったんだけど、教科書を持ってない子に見せてあげたり、普通に日本人と接するようにしてきたことを見てくれてたのかなと嬉しくなりました。


その後、予定通り無事に日本に帰国したわけですが、日本に住んでいる人が大変な思いをしていた中、私はその思いを100%理解できないことがしばらくコンプレックスになっていました。

あの日の大きな揺れに抱いた恐怖、計画停電の中で過ごした不安な時間。。私はどれも経験してないのです。

自分が非国民のような、申し訳ない気持ちになったこともありました。


その後、めぐりめぐって、今ではロンドンで生活を始めて、4年ほど経ちます。

あの時全く話せなかった英語は、今では仕事ができるくらいのレベルになりました。

きっと不思議な運命に導かれて、今ここに立っているような気がします。

あの喪失感と不安な状況の中で私に優しい言葉をかけてくれた人たちのように、傷ついた人を包み込むような優しさを持てよと言われているようにも感じます。

今ではそれが私の運命だったと受け入れることができ、コンプレックスも消えました。

世界を少しでも優しさで満たせるように、今日も明日も文章を綴っていきたいと思います。






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