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ことばにするれんしゅう

「12ヒーラーズと12の軌道」は、一回書いては間に別の記事を挟む、というサイクルがどうも必要みたい。

アウトプットするのが苦手で、特に話すことが超苦手なんだけど、想いが溜まりすぎて出すことが必要になって。
だから書かずにはいられなくて、テーマを決めてその道に沿っていくことで自分の成長の軌跡も残しつつ、横道に外れてもなお書きたいことがあるというか、書くことで軌道修正もしているのかもしれず、それだけ、人の心は動いていて、それだけ、出てきたくても出てこれなかった想いがあったということ。

例えばそれは日記などでも良かったのかもしれない。
ふと、実家の押し込められた荷物の中から出てきた、伯母のものと思われる日記を思い出す。悩み苦しみの中にも、心の美しさのようなものが見出せて、何十年か先の年齢を生きているその人に尊さを感じた。
うちの両親とはそんな感覚をシェアできないので、3人いる伯母の中の誰のものかはほんとうのところわからないのだけど、もしかしたらもう旅立ってしまった、優しいけれど儚げだったあの人のものかもしれないなぁと思う。

もしかしたら誰にも読まれないままの日記に想いを綴るのも大事なことで(自分のだったら読まれたくない...)、でも外に出せなかった想いたちはそのまま抱え続けなくてはならない。

今という時代はこうしてアウトプットできる場があるだけありがたくて、ただ、その先に伝えたい何かがないといけないような気がしてしまうのも本当だし、私だってここでわざわざただの日記を書きたいわけじゃない。

「表現」の練習。

獅子座というサインを表すキーワードで「自己表現」というものがついてまわる。
だからどうしても意識してしまって、自意識過剰なのかもしれないけど、やっぱり気持ちを外に出してあげることは必要なのだと思う。
守りの気持ちや照れ隠しがどうしても入ってきてしまいそうになる。
だからまだまだ練習が必要で、これが表現なのかすらもよくわかっていないのかもしれないけど、太陽の向こう側にある「水星」は、言葉というもので私を導こうとしているのではないかと感じるところがあります。
何者かわからない自分を、それでも表すことができるのが言葉というもの。
その先に何があるかもわからないけれど、今の自分でも表せる手段。

しかし、この散文にタイトルをつけるとしたらなんだろう....

と思って出てきたのが上のタイトルです。


見えないものの小さな声を聴く

この頃意識しているのは、身体を動かしたりしながら体の声を聴くこと。
感じることも「聴く」と表現できる。
やっぱり、言葉っておもしろいし、人はそれによって認識し行動できるもの。
声にならなくとも祈りが届くということもある。
反対に呪いになることもあるし、言葉は武器にもなりうる...
大きな声や強い調子でペチャクチャ喋る声が苦手です。
おおかた母親のネガティブな影響...
だから無意識に自分がそうなっていることもあるだろう。
そんな自分が嫌いになってしまって、強い思い込みや自信のない自分を作り上げてしまう。

今は目に見えないものや押しやられてしまった小さな小さな声に耳を澄ませながら、ポジティブな方へと意識を向けていこう。
こんなことを思っていたんだね。ほんとうはどうしたかった?
ただ聴くだけじゃなくって、相談してみたり、一緒に解決してみたり。

目下の課題は、脳じゃなくて身体の声を聴くこと...
気づくと意識は頭の上の方へ向いているのを、
ぐっと下の方に向けてみる。
息を吐いて、気を下の方に下ろすイメージ。
イメージするにも、ことばというもので理解することが必要なんだけど、
何度も繰り返して体が覚え、自然にそうできるようになるといい。

とか言いながら、無意識で何かをしながら別のことをしている自分に気づく。
ついさっきなら、書きながらコーヒー飲んだりつまみ食いしたり...
気づいたから、ちょっと書くのを中断して、飲んで食べる方に集中してみる。
だけどまた考え事してた自分に気づく。

そんなことの繰り返しをしながら、少しずつ気づいていくしかないんだなぁ。
それでも、まったく無意識だった頃に比べたら、大きな進歩。

他者の手も借りながら少しずつ自分を取り戻しているところ。
今は一人で振り返る時間だけど、そんな時に気づくのが、
外に開く、他者の手を借りることで大きく変化していること。
そもそも「自分」というものがどこからどこまででどんなものなのか、
100%わかるなんてことはない、って知ったことは大きい。
それも、他者とのやりとりがなければ知れなかったことだ。

しかし受け取ってもらいたいという気持ちが強くなりすぎてもなぁ、とどこかで制限をかけ始める。
大体何も考えずにゴールも決めずに書き始めるからだ...
と言って、何やらまた目的をすり替える。
いやいやただの練習だから、ゴールなんてとりあえず決めなくていいから。


そうそう。魚座新月明けにフラの練習を始めました。
できなすぎて笑える...ゴールも何もない、ただやってみるだけの練習。
繰り返し動いているうちに、身体の動きが感じられるようになってくる。
上手くなろうとかじゃなく、動いている喜びを感じる、楽しいという感覚を自分の体と心で分かち合う。
それだけでいい。

ことばにするれんしゅう、今日はこれでおしまい。

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