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"ケセラセラ"は私の鎮痛剤💊

今日は、とある一曲について。

今年の夏のある日のこと。
春に会社を辞めてひとまず自由になった私は、職業訓練に通うまでのこの夏の間、ゆるゆると過ごしていた時期がありました。

そんなある日、一人カラオケに行きました。
一人カラオケは昔からよくしていて、その日も、久しぶりにカラオケに行くことを思いついて、サクッと1時間くらい歌うか〜と思って近所のカラオケ屋に行きました。

一人カラオケに抵抗があるとか、
カラオケは大勢で行った方が楽しいとか、
なんか一人カラオケに対する戸惑いってありますよね
ま、それもわかるんですけど、
慣れてしまえばなんてことはないです笑

私は単純に「歌を歌う」ということが好きです。
特に、一人で行くと好きな曲を好きなだけ歌えることが。
そんな環境は他になくて、すごくいいんです。家でも家族がいるので大声では歌えない。友達とカラオケ行くときとはまた違う楽しみ方ができる。
上手く音程を取れるようになりたくもあり、めいいっぱい気持ちを乗せて気持ちよく歌いたくもあり、ストレス発散方法の一つでもあり。

歌いつつ、次の曲をタッチパネルで探していると、知っている歌を見つけました。

Mrs. GREEN APPLEのケセラセラです。

この曲は今年春に放送されていたドラマ「日曜の夜くらいは」の主題歌で、リズム感や、明るい歌詞や、ドラマ内でかかるタイミングが良くて印象的でした。あまり歌詞は知らなかったけれど、歌えるかな〜と思い、曲をかけてみました。

そうしたら、
歌ってる途中で、
勝手に涙が溢れてきました。
自分でもなぜ泣いているのか全くわからずにしばらく涙が止まらなくなって。
この曲明るいよ?泣くような曲じゃないよ??と思いながら。

ケセラセラ
今日も唱える
限界?上等。やってやろうか。
愛を捨てるほど暇じゃない
いつも All right All right
ここを乗り越えたら 楽になるしかない

痛み止めを飲んでも
消えない胸のズキズキが
些細な誰かの優しさで
ちょっと和らいだりするんだよな

負けるな
今日も踏ん張って
固めた殻で身を守って
また諦める理由探すけど、

ケセラセラ
今日も唱える
限界、上等。妬ましさも全部
不幸の矢が抜けない日でも All right All right
食いしばってる

でもね、
今日はちょっとだけご褒美を
わかっているけれど
私を愛せるのは私だけ。
生まれ変わるなら?
「また私だね。」

ケセラセラ1番の歌詞 

「不幸の矢が抜けない日でも」
「生まれ変わるなら『また私だね。』」
この辺りなんか刺さる...

それと、
ケセラセラのミュージックビデオの映像と、
『日曜の夜くらいは」の根底に描かれていた生きづらさ。全てが重なって、自分に投影されたような気がします。

思い当たる節はやはり前職の会社からの解放。
自分でも自覚がないところまで深くまで、これまでの社会人人生が辛いということが染みていたのかなと思いました。
自分の傷は思ったより深くて不幸の矢が抜けなくて、思っていたより自分に負荷をかけていたのかもなぁと。

でも涙が出たことに驚いた自分がいて
すごく不思議で。
ちょっと他人を見ているような、感覚でした。
なかなか出てこれずに眠っていたさらに奥にいる自分とでもいうのでしょうか。そんな自分を労ってあげたいなと思いました。

そして同時に、すっと肩の荷が降りたような感覚がしました。浄化のような感覚でしょうか。清々しくて楽な気持ちになりました。

前向きになりたい時、
前向きになりながらも心を落ち着かせたい時、
私はこの曲を聴こうと思います。これからも。

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