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【能登半島地震の話】牛歩の復興、私たちは子どもたちに希望が持てる地域を繋げることができるのか#181

皆様、おはようございます。
佐伯です。

定期的に能登半島地震の被災地の住人として被害状況や住民の皆様の暮らしを情報発信をしています。

先日、先日台湾で大きな地震が発生したかと思えば、昨日、愛媛県と高知県で震度6弱の地震が発生しました。

未だ被害の状況はわかりませんが、きっと恐ろしい思いをしたかと思います。
被害に遭われた方々のご心痛をお察しします。


①石川県の被害状況と各市町村の温度差について

2日前に石川県が最新の被害状況をは発表しました。

被害等の状況について(第122報)【2024年4月16日14時00分現在】

この発表によると死者数は245人、重傷者315人、軽傷者876人、合計1,436人の方々が命を落とした、または怪我をしたことがわかります。

また、市や町が設営している1次避難所には2,895人、県が用意した1.5次避難所(スポーツセンターなど)には76名、2次避難所(ホテル、旅館)には2,232人の方々が未だに避難生活を余儀なくされていることがわかります。

また、能登半島を中心に断水状況が約5,240戸が続いており到底日常生活に戻れる状況ではありません。

この状況は1番被害の大きかった石川県だけです。
私の住む富山県も含めると、1月1日の地震発生から3ヶ月以上が経過していますが、未だ災害の爪痕は大きく残っているのが実情です。

また、市町村によって復興への温度差があることが実情です。
熱心に復興を進めている市町村もあれば、復興もそこそこで次の無意味なイベントにご執心の市町村もあります。

このままでは復興の遅れが、住民の流出に拍車を掛けてしまいます。
街は住む人がいて、活気が生まれ、経済が周り、更に良くなるという実にシンプルな循環が大切です。

このままでは住む人が居なくなることが、街づくりでは1番恐ろしいことだと私は考えます。

未来の子どもたちに故郷を残すということができなくなります。
これは今を生きる私たち大人の責任で全うしなくてはならない案件です。

②古の人々は未来に対する責任を知っていた

私も最近知ったのですが、故・石原慎太郎氏が生前に国会で行った演説がSNSで非常に注目を集めています。
内容はG7において環境問題についてもっと真剣に取り組むよう日本がリードすべきだという内容です。

その中で、石原氏は宗教改革で有名なルターの言葉を借りて未来に対する責任について説明しました。

たとえ明日、世界が終わりになろうとも、私はリンゴの木を植える

宗教学者:マルチン・ルター

決して変えられない滅びがあったとしても、未来に向けて責任を全うするという内容です。

また、まちづくりの専門家:木下斉さんのラジオで聞いたのですがネイティブアメリカンのことわざにこんな言葉があるそうです。

We Do Not Inherit the Earth from Our Ancestors; We Borrow It from Our Children
【和訳】
大地は祖先からの贈り物ではない、子孫からの借り物だ

ネイティブアメリカンのことわざ

両者に共通することは今を生きる私たちはどんな困難な状況であっても、未来に対し責任を持ち、最善を尽くすことが求められているということです。

何百年も昔の人々が残した言葉を私たちは今、行動に移せているのでしょうか?

③今、地球で起きている災害は自分ごと

昨今では大災害が地球規模で頻発しています。
私たちの日本だけを切り取っても、毎年梅雨に時期になると九州地方では豪雨と水害が必ず起きます。

10年前では考えられません。
ですが、ここ数年では毎年のように発生しているのでどこか災害に対し、私たちの感覚が鈍くなってしまったような気がします。

ですが、不幸にも起きてしまった災害を取りあず蓋をするのではなく責任を持って考え、次に備えることが本当に大事な時代になったと感じます。

今回、北陸、南海と大きな地震が立て続けに発生しました。
他の地域も人ごとではありません。

これらを自分ごととして捉え、未来にバトンをつなぐにはどうすべきか。
また、子どもたちから借りた今を利子をつけて返すにはどうすべきか。
真剣に考える必要があると考えます。

それでは皆様、ご機嫌よう。

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