見出し画像

TOKYO2020

オリンピックが好きだ

なんとなく記憶があるのはバルセロナオリンピックから。長野オリンピックのときは、小学生ながら必死にテレビを見た記憶がある。漠然とオリンピックに出たいという気持ちにもなった。

小さい頃からスポーツが好きだった。スポーツと関わりたい、オリンピックに行きたいという気持ちがあったから、スポーツ医学を志した。まるで計画性もなく、具体的なステップも描かずにただそう思っていた。

今でもアスリートを羨ましいと思う自分がいる。願わくばオリンピックに出る人生を歩みたかったとも思う。オリンピックにかする位置にさえ行ったことはなくても、ずっとスポーツに憧れている。

オリンピックは私の夢だった。遠すぎたって、夢だったのは本当だ。だから観客だとしても一生に一度しか経験できないであろう東京でのオリンピックは楽しみにしていた。

そこへ来てのコロナウイルスパンデミック。まさかの一年延期。観戦チケットを持っていることくらいしか関わりのない私でさえ、モヤモヤした気持ちになったのだから選手やスタッフ、大会関係者の苦労は計り知れない。

ワクチン接種が始まっても、一向に収まらない感染者数。まさかの緊急事態宣言の再発令。次々と無観客開催が決まるなかで、3つ持っていたチケットの1つ、宮城スタジアムの試合のチケットだけが有効になった。

直前まで行くつもりはなかった。他に持っていたチケットが有効だったら行かなかっただろう。だけど、関東圏のチケットがすべて無効になったあとで残った貴重なチケットを手にして、人生に何度とない自国開催のオリンピックを観戦できるチャンスを逃したくないと思った。幸い時間も融通が効くし、往復の交通費や宿泊費だって大したことないと思えるくらいに余裕があった。

家でいつもどおりなんとなく過ごすくらいなら経験してこよう、五感で味わってこようと思った。

思えばサッカー観戦自体久しぶりだった。大学、大学院時代、一人でも多くのスポーツの試合を見に行っていたことを思い出し、好きだったこの場所の雰囲気を思い出した。

宮城スタジアムは開放感があってとても良いスタジアムだったし、ワクワクした。中国×ブラジルとザンビア×オランダの2試合を観戦。こういう国際試合を見るのも初めてだったし、サイドラインで見るよりも、少し上の観客席から観る景色は全体も見渡しやすくて、かなり楽しめた。

私が大学院生活を過ごしたイリノイ大学は6万人を超える観客を収容するスタジアムを持っていて、観客として数回、スタッフとして数回アメフトの試合を観戦したことがあるのだが、そのスタジアムを埋め尽くす観客が生み出す雰囲気はたまらない。震える。

もしこの宮城スタジアムが満員の観客で埋め尽くされていたら、雰囲気は全く違っていただろう。でもあの広さのスタジアムで贅沢に観戦できる機会の方が滅多にないことだと思う。ある意味とても強烈で忘れられない思い出となった。

運営の準備の大変さ、直前まで無観客になるかもしれないという状況だったことを考えると巻き込まれる人々はたまったものじゃない。一つ一つの制作物やスタッフの配置を見ながらそんなことを考えていた。

国を背負う気持ち。選手、スタッフそれぞれのストーリーを考えるとめちゃくちゃ重い。やっぱスポーツっていいなと月並みの感想を抱きながら、夏の気持ち良い夜風に吹かれていた。

開会式が始まる前からゴタゴタが過ぎて、多くの人が呆れてるし、オリンピックなんかどうでもいいと言う雰囲気が感じられる。だけどアスリートは何も悪くないし、この瞬間のために人生かけてきた人たちがいっぱいいる。そう考えたらこの大会が成功してほしいと強く思うし、私はポジティブな発信をしていたい。

緊急事態宣言下で移動を自粛しろという雰囲気の中で東京から観戦に行くことをアピールするのも気が引けたし、SNSにアップするかも迷ったけど、それで文句言われるほど有名でもなんでもないから、この貴重な体験、その時私が何を考えていたかを書き留めておきたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?